7月20日に行われた参院選挙で、投票率は伸びた。今まで投票に行かなかった人が投票に行ったようだ。このことに関して、「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーターの玉川氏が「今までと全然違うのは、選挙に行く人っていうのは基本的に政治とかの基本知識を持っている人が行っていた」と言い、「今までは投票率が上がるのはいいことだと思っていたんだけれども、果たしてどうだろう」と首を捻っていたらしい。如何にも上から目線の玉川氏らしい発言である。本来、政治はすべて国民のものであるはずだ。政治を知っているとか知らないとかは関係ない。今回、若者世代や今まで投票に行かなかった40代・50代が増えたことは、本当に良いことだと思う。
ただ、玉川氏の発言も一理あるようなことを知った。友人から聞いた話である。あるお店で主婦らしいグループが次のような会話をしていたというのだ。
友人A「入れるなら参政党だけど、投票に行くのはめんどくさい」
友人B「でも、今回は投票行っとくほうがいいって、結構まわりでも言ってるで」
友人A「そやな!消費税が25%に上がるって言ってるもんな」
友人C「はあ?なにそれ?」
友人B「それは、関税のことちゃうん」
友人A「関税って、なにそれ?」
というものだ。まるで大阪の漫才のような話だが、漫才ではない。日本国民の水準というのはこの程度なのかもしれない。
玉川氏を擁護するつもりはないが、参政党に投票した人は、参政党が国民主権ではなく国家が主権を持つべきという憲法草案を掲げていることを知っているのだろうか。憲法や教育基本法と相反する教育勅語を持ち上げていることを知っているのだろうか。このような戦後日本の民主主義の根本を崩すような主張をしている参政党に投票することは、まさに自分の足音を崩す政党に投票していることになる。この政党に投票した人たちは、今の日本を根本的に足元から崩したいと思っているのだろうか。こういう自覚もなく、神谷代表の「熱い演説」が心に刺さり、漠然とした不安や不満を言葉にしてくれたことに感動したために、参政党に投票をしたのなら、玉川氏のいう事にも一理ある。それと共に、政治教育を怠ってきた日本の戦後教育に忸怩たる思いが浮かび上がる。
このブログでも、投票率について言及した。これだけ、日本の政治のターニングポイントになる選挙でも投票に行かない人が4割以上いるのだ。この最たる原因は、日本の政治状況(自民党の長期政権と旧民主党の政権交代の失敗)にあると思うが、学校現場の政治教育がきちんと行われてきたのか。単に、中学校の公民や高校の公共で一般的な知識を教えるだけではなく、現実の政治のダイナミックな動きを教えるべきではないかと思うのだ。政治教育における中立性を考えると、かなり難しいかもしれない。しかし、そのタブーに挑まなかったがゆえに、未だに日本国民の政治意識は低いように思えてならない。
今回の選挙で参政党が伸びたのは、周知の事実だ。ところが、れいわ新選組はそれほど伸びなかった。この差は何なのだろうかと思う。二つの政党は、立ち位置がまるで違う。しかし、今回の選挙で言えば、消費税廃止・減税の積極財政派であり、選挙後半に争点になった外国人問題についても、両党とも外国人規制派だ。なのに、この差はどこで生まれたのだろうか。
SNSでこの両派の切り取り動画が良く流れてきた。言っておくが、私は両党とも支持していない。両党の動画の内容はよくわかるし、代表の熱量は両党とも大きい。なのに、この差が生まれたのは何なのか。このことを選挙が終わってから考えている。
私の独断と偏見だが、この差が生まれたのは、「主張の単純程度」ではないかと思う。れいわ新選組の山本代表の主張は、自分の主張を裏付けるエビデンスを提示するやり方だ。だから、知的水準を求める者からすれば、賛同するかどうかは別にして、納得感が得られる。しかし、きちんと頭で理解しなければならない。
一方、参政党の神谷代表は、エビデンスを示さない。自分の主張を短い言葉でわかりやすく、激情的に訴えているのである。これが、政治に今まで参加していなくて、政治が難しいと思っていた人の心に刺さったのではないかと思うのだ。
簡単に言うと、れいわ新選組の主張は頭に訴え、参政党の主張は心に訴えるのである。この違いが、選挙結果に大きな違いをもたらしたのかもしれない。
昭和の時代、投票率が高かった時代、高校生でも政治談議をしていた。私は、高校3年生のとき、友人たちと徹夜で政治談議をしたことがあるし、社会科の先生に数人で押しかけ、論争を吹っ掛けに行ったこともある。私は全共闘世代ではない。その後の三無主義の世代だ。その世代でも成長するにつれ、政治に関心を持つ熱い時代が昭和にはあった。ところが、平成・令和になって、若者が政治談議をすることを聞かなくなった。やっと最近大学生が、政治に関心を持ち始めた。このような状況を産み出してしまった原因の一つは、教育にある。政治を語らない、政治を語れない教師によって育てられた若者が、政治を身近に感じることは少ないだろう。
政治を頭で考え、心で政治を感じる若者を育てるために、政治教育をもっと学校現場で行わなければならない。
今回の参院選を終えて思うことだ。
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