『日本教育』4・5月号の特集で「持続可能な学校づくり」が取り上げられているのは、前回のブログで書いた。筑波大学の浜田教授の寄稿文だ。今回は、学校法人翔南学園長の住田先生の寄稿文だ。結論から言うと、とても「耳が痛い」話だ。
住田先生は、冒頭に
「校長がやることは、土を耕し、種を撒くことだと思います。その校長が去った後に、種が発芽し、実をつけたかどうかによって、校長の願いが実現しているかどうかがわかります」
と述べておられる。まさにその通りだと思うのだ。私は、そのような学校経営ができなかったと反省している。住田先生が言うような学校経営をするには、
★「聴き合う」姿勢の重要性
★ボトムアップの「弱いリーダーシップ」
を挙げている。そして、
★「ジブンゴト」として捉えること
の重要性を説いておられる。確かにそうなのだ。
また、私のブログにもコメントを寄せていただいた。とてもありがたい。住田先生は、次のようなコメントをいただいた。
校長は何を残すか?「引き継ぐべきは特色ではなく、文化です。あなたはどんな文化を引き継ぎたいか?そして、そのための風土をどうやってつくったか?」ということに目を向けたいです。スタートで課題を明確にしておくことは大事ですが、解決するための方法は教職員が考え、実践します。その中で教職員が育ち盛り、自走するようになります。私は対話と合意形成の文化を継承したいと思っていました。校長に目を向けるのではなく、しくみづくりに目を向けないと、いつまでも教育改革は進まないと思います。
この指摘も全くその通りだ。また詳しくは述べる機会があればよいと思うが、私も府立高校で民間校長の跡を継いだ時に、「学校文化の立て直し」の経験をした。教職員・生徒・保護者で学校を立て直す経験である。だが、住田先生の言われるようなことがどこまでできたかといえば、到底できていなかったと言わざるを得ない。
自分の校長経験を振り返って思うのは、住田先生の言われるようなことを実践する余裕は一切無かったなという事だ。これがダメなのだろう。おそらく、腰を据えて、最低でも5年間その学校に在任できれば、じっくりと教職員と話し合う期間も取れただろう。しかし、高校は3年サイクルである。校長も3年サイクルが多い。私が必要と思っている教育を行いたいと思えば、どうして焦ってしまう。じっくりと腰を据えていれば、生徒はどんどん卒業してしまうのだ。この焦りがダメなのだろう。住田先生の言うように、校長の仕事が何なのかをもう一度考え直さなくてはならない。
教職員が、学校の課題を「ジブンゴト」として捉え、そして様々な社会課題も「ジブンゴト」として捉えてくれる導火線を持っていてくれたらと思う。なかなか、導火線は見つからないし、見つかっても湿っていて、中々火が付かない。これが焦りの要因の一つなのだが、他人のせいにしているうちは、ダメなのだろう。
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