『日本教育』の4・5月号に、「持続可能な学校づくり」の特集が組まれていた。衝撃的だったのは、千代田区立麹町中学校の校長、堀越先生の寄稿文だ。麹町中学校と言えば、工藤勇一氏で有名になったが、その学校改革が如何に持続可能性の低いものであったかが書かれている。この寄稿文については、また別途コメントしたいと思うが、今回は筑波大学教授の浜田氏の寄稿文について書いてみたいと思う。
結論から言えば、とても勉強になったという一言である。冒頭に小学校の例が示されていた。その小学校は、地域の伝統校で退職間近の校長が赴任するような学校であるようだ。そうすると、校長が変わる度に学校の経営で力点を入れることが変わるという。ある校長の時は、国語・体育・オペレッタ、ある校長の時は構成的グループエンカウンターというように、校長が変われば課題が変わるのだ。浜田氏は、
「学校は校長が『自分の願い』を実現する場所か?」
というタイトルをつけて、このことを語っている。浜田氏が重要と考えているのは、教育の最前線に立つ教師の思いや課題意識を如何に掘り起こし、明確にし、課題解決に向けてリーダーシップを発揮する、そこにこそ校長としてのリーダーシップがあると言えると述べておられる。まさに、その通りだと思う。自分が行った学校経営を見直すうえで、貴重な示唆を与えてくれていると思うのだ。
ところで、現場で実践している教師が、目の前の生徒たちに関して、課題意識を持っていなかったらどうすれば良いのだろうか。ルーチンワークのように、1日、1週間、1か月、1年を過ごしていれば、学校が直面している課題は解決しない。何も問題がなく、全てにおいて万全な学校経営が行われているような学校は無いだろう。現代ほど、学校教育の変革を求められている時代は無いと言っても過言ではない。
そうすれば、校長のリーダーシップとしては、何から始めたら良いだろうか。まずもって、教職員に学校の課題を認識してもらうところからスタートするしかない。その課題も、校長が「〇〇が課題だ」といえば、冒頭の小学校の校長と同じになってしまう。私は、課題の押し付けにならないように、学校経営の課題を明確化するために、できる限り客観的なデータ、エビデンスを示すようにしてきた。できる限り議論が「空中戦」にならないようにするためである。
ところが、このような手法を取ったとしても、私がその学校を去れば、その課題は跡形もなく消えていく。一体、どうすれば持続可能な学校ができるのだろうか。「トップが変われば、組織は変わる」といわれるが、「トップが去れば元の木阿弥」とも言える。継続性が担保できるように、教職員に課題を認識してもらうという事が常套手段だろうが、そのために3年間しかないというのは、校長としては如何にも短い。
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