4月20日の大河ドラマ「べらぼう」で平賀源内の最後が描かれた。非業の最後である。ドラマでは、将軍のお世継ぎの不審死にまつわる「死の手袋」に関わった故に、源内にも魔の手が伸びたという形で描かれている。物語としては、面白い。実際、家治の子、家基の早すぎる死にはいろいろ言説があり、暗殺説も考えられると専門家も言う。そんな不審死に源内の死を絡めるのは、脚本家として非凡なものを感じさせる。
源内は、天才である。四国の香川県の下級役人の子として生まれたが、その才能を活かすことができず浪人となり、自由奔放な生活を送る。彼の肩書は、本草学者、地質学者、蘭学者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家と広範囲に及び、まさに傑物と言えるだろう。「べらぼう」では、エレキテルが偽物と言われ、徐々に精神的に追い込まれていく源内を、安田顕が素晴らしい演技で演じていた。自らの才能を評価しない世間との軋轢ゆえに、次第に鬱的症状がひどくなっていく。
彼の発明したエレキテルが「万病に効く」かどうかはわからないが、身体に電気を通し、血流をよくすることで病を治すというのは、今でも東洋医学で行われていることだ。私も整体や鍼治療に行くとき、電気を通してもらっていた。なので、「万病に効く」かどうかはわからないが、エレキテルが「健康に良い」というのは確かだろう。しかし、それはあくまでも東洋医学の範囲であり、西洋医学の範囲での治療ではない。すぐに、治癒を求める患者からすれば、「源内さん、これ効かないよ!」という話になるのではないかと思う。
さて、源内の最後である。ドラマでは、策謀にかかり源内は阿片を吸わされたようだ。蔦重が門の前で「何の匂いだ?」と疑問をもち、源内の家屋に入り、「この匂いか」というのだから、阿片特有の匂いがしていたのではないか。源内が、「こいつが、いい煙草をもってくるんだよ!」と嬉しがっていったのは、阿片による高揚感の成せる技と言えるだろう。だんだんと幻聴、幻覚症状を表す源内を、安田顕が熱演し、最後は獄中で死ぬ。それも毒殺と思わせる描き方である。意次も源内の死を不審に思い、更なる追及をしようとするが、息子意知に「新たな幕が開きます」と諫められる。安田顕、渡辺謙さんの素晴らしい演技に魅せられ、「うーん」と唸りながら昨夜は寝た。
一晩寝て、電車に乗ってフッと頭に浮かんだのは、「源内は、阿片を知らなかったのだろうか?」という事だ。源内は、本草学を究めた学者である。煙草を吸った瞬間に「?」という疑問を持ったのではないかと思うのだが、どうだろう。源内ほどの学者が、阿片に手を出すとは、相当精神的に追い詰められていたのだろうと推察せざるを得ないが、若干、脚本に「?」を感じた。
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