給特法、国会論議スタート

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 4月10日から国会で給特法に関する議論が始まった。論戦を聞いていて思うのだが、野党の質問もどうかなと思う。給特法の問題点について追及が弱いのではないかと思うのだ。もともと、教職調整手当が設けられたのは、教員の仕事がどこまでなのか、自己研鑽との区別がつきにくいという理由で設けられた。中教審の議論でも同様の理由で給特法の廃止や大幅改正ではなく、教職調整手当を段階的に1%ずつ上げて、10%まであげることにした。
 今回の給特法の改正は、教員の待遇を改善して、質の高い教員の確保を行うというのが目的だ。これがまずは、筋の違う話になっている。今、教員不足の原因になっているのは、学校の仕事が「ブラック」だからだ。なぜ、「ブラック」と言えば、教員の仕事量が半端ない程あり、部活動指導、オーバーカリキュラム、保護者対応と、心身共にすり減らす状況にあるからだ。これを解決するためには、
①教員定数を増やすこと(今回、少し増えるが、もっと増やさないと焼け石に水)
②教員が授業に集中できる状況を作り出すこと。逆に言えば、SC、SSW、SRという専門家を学校に配置し、分業を行うことである。
そうすれば、学校のブラック化は解消していき、志高い若者も教壇に立とうと思うようになる。こういう施策を打ったうえで、教員の待遇の改善なのである。①及び②をやらず、給料だけ上げても、「質の高い教員」は確保できない。この点を野党はまずは追求すべきである。どうも、論点がずれているような気がする。

 そして、もう一つずれているのは、この「教員の仕事は、自己研鑽と区別しにくい」という論についての追求が弱いのだ。国立大学附属校は、もともと給特法の対象だった。しかし、国立大学が行政法人になってから、労働基準法が適用され、残業手当を出さなければならなくなった。つまり、自己研鑽と仕事の区別を明確にすべきという事になったのである。
 私が附属中学校の校長をしている時に、この仕事と自己研鑽の区別についての議論があった。最初は、仕事を狭い範囲で定義しようという話であったが、社労士を招いての研修で、仕事の範囲を広く考えるのがトレンドであることが示された。つまり、教育に関する研修を時間外に自主的に行うのも仕事なのだ。そうすると、自己研鑽とは何かというと、全く教育活動に関係のない、簿記検定の受検のための勉強とか、英語以外の先生が英語検定受検の勉強をするとかという事になるのである。
 そして、労働基準局は、教員の仕事の時間をPCのスイッチをオンした時間からオフした時間、つまりPCのログで判定した。だから、教員の仕事がどこまでか判定できない対象であった国立大学附属校が行政法人になったことで、自己研鑽と仕事が区別できるようになったのだ。そうすれば、公立学校も当然区別できるようになるだろう。区別できるようになれば、給特法の根拠そのものが無くなり、労働基準法に基づいていた残業手当が支給されることになるのだ。
 野党も、この点を追及してほしいのだが、どうも論点がずれているように感じてしまう。国会論戦を聴いていると、れいわ新選組の大石議員が一番突っ込んでいたように思う。


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