私が発信しているブログの名称は、「yoshiの教育ブログ」である。私が人生の大半を教師として過ごしてきたことから、教育に関することについて発信している。アクセスしていただいている方々には、教育関係者の方が多いと推察される。コメントを頂いた内容からそのように考えられるのだ。私のような人間が発するブログにアクセスしていただいて、本当に感謝する日々である。
ところで、このブログには、「雑談」や「時事問題」という項目も設定し、教育問題以外についても、私が思うところを発信している。最近では、尹大統領の罷免の問題や、アメリカのトランプ大統領(大統領と呼びたくないが)に関する問題、かつてはウクライナ戦争に関するブログも発信した。私にとっては、重要な事象と考えたからである。ところが、このような教育問題以外の内容を発信した時には、アクセス数が極端に少なくなる。私は、1週間を単位にアクセス数の推移平均をグラフ化しているが、教育問題とそれ以外のアクセス数の差が顕著なのだ。
なぜ、このようなことを書くかというと、教師の問題意識がこれで良いのかと思ってしまうからだ。教育に携わる者として、やはり歴史観・世界観というのはとても重要ではないかと思う。話題になった「御上先生」でも、「The personal is political」が、大きなテーマだった。ドラマの中でもヒロシマ・ナガサキの原爆投下の日米の捉え方の違いや、正義の戦争の是非について論じられた。なかなか、「答えが見つからない」問題だ。そういう問題に関して、自分なりの見解を持つことは重要ではないかと思う。
例えば、今世界中で話題になっているトランプの相互関税。これについて、どのような評価を下すのかというのは、重要な問題ではないか。第二次世界大戦後、自由貿易の旗手であったアメリカが、自らその旗を破り捨てたのである。なぜ、第二次世界大戦後、自由貿易を標榜したか。それは、先の大戦に至る原因に保護主義があり、経済のブロック化があるためなのだ。それ故に、戦後すぐにGATTが設立され、WTOに引き継がれているのである。このように考えると、このトランプ相互関税が、歴史的に見て如何に不当な暴挙であるのかという事がわかるのだ。そして、如何に危険なことであるかもわかる。この相互関税に関して、世界が対応を間違ってしまえば、世界経済が停滞するだけでなく、武力行使に行き着いてしまう危険性もあるのだ。
教師には、政治的中立性が求められる。しかし、政治教育は否定されていない。ただ、教師は政治的問題を忌避する傾向が強い。一度どこかで書いたことがあるが、ブレイディみかこ氏が書いた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の中に、息子がデモに興味を持ち、参加する記述がある。その時、イギリスの公立中学校の先生は、生徒にデモへの参加を奨励するのだ。日本の教師の感覚とは大きく違う。
現在、OECDで重要な教育テーマとして掲げられているのは、「WellbeingをめざすAgency」である。Agencyとは、「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲」と定義されている。これは、文科省が示す定義なのだ。教育学者の間で、このAgencyについていろいろと論じられているが、私は、「社会変革」というキーワードが入っていることに注目している。今の世を継続していくのではなく、Wellbeingを実現するために社会変革を実現していく力が、Agencyなのだ。そうすれば、このAgencyを育てるという事は、政治的な課題に結び付いていくのは必定である。教師が児童・生徒のAgencyを育成した時、教師が何の歴史観・世界観も持たず、政治オンチでどうするのだと思ってしまうのだ。
教師は、このVUCAの時代、より広い視野が必要であるだけではなく、教師自身が社会変革に関わっていくことが必要ではないかと思う。
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