11月25日読売新聞に「SNSと選挙」第二弾が掲載された。見出しは、「正義と信じ『敵』攻撃」「投稿過激化分断生む」というものだ。要は、SNSで発信されている内容に、賛成なら賛成の内容ばかりを見るようになり、反対なら反対の内容ばかり関心を寄せるようになる。そうすることによっては、双方の主張は次第に先鋭化していくというものだ。「エコーチェンバー」と呼ぶらしい。その行き着く先は、アメリカ連邦議会乱入事件だと指摘している。その通りだろう。
もともと、SNSは素人が情報発信の手段を獲得したものだ。そこに、他人への攻撃や誹謗中傷を行ってはならないなどの情報モラルは当然必要だ。しかし、自分の意見を先鋭化させることはダメだとは言われていない。それは表現の自由なのである。重要なことは、SNSという情報を受け取る受け手の側の問題とマスコミの社会で許容していくという姿勢が求められるということではないか。だが、そのような大衆が多数だろうか。大衆心理とは、そんなに理性的ではない。先に例を挙げたアメリカ連邦議会乱入事件もそうだし、日本では関東大震災の時に、朝鮮人への虐殺事件が起きている。ある意味、人間の性ともいえることなのだ。
だからこそ、大衆心理に客観的で有益な情報を与えることが必要だ。これこそが、マスメディアの社会的役割だろう。この読売新聞の連載記事のように、SNSを「悪」のように扱っても何も解決しない。それよりは、なぜ、大衆をSNSに追いやってしまったのかという自省が求められるだろう。自らのの果たすべき役割に対する自省なく、このような連載記事を掲載しても、その意味は半減以下になるだろう。最後に慶応大の山本龍彦教授が「極端な意見ではなく、客観的で有用な情報に触れやすい情報環境をどう構築していくか早急に議論しなければならない」と指摘しているが、まさにこの「情報環境の構築」こそがマスコミの大きな役割だろう。
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