ポスト楊令


 昨日から38度を超える発熱だ。熱を測ったら今朝も37.8度。少しマシだが、このまま熱が上がらないことを望む。どうも、インフルエンザかもしれない。明日には、医者に行こうと思う。まだ熱があるので、今日のブログは、軽めに行こうと思う。北方健三氏の大水滸伝も、とうとう楊令伝を終えて、岳飛伝に突入した。
 宋江の時代は、湖塞により志が語られていた。その志とは、「民のための国をつくること」であり、宋という国を倒す事であり、そして、目の前の童貫を倒す事であった。しかし、その目論見は敗北に終わる。宋江の意思を継いだ楊令は、梁山泊の頭領となり、童貫を倒す。ここから、楊令の苦悩が始まるのだ。楊令が見出したのは、交易である。経済政策で言えば、重商主義だろう。いままで、重農主義しか知らない中原に、突如として交易の道が出現したのだ。やがて、それは自由市場へと発展し、金国も南宋も巻き込もうとする。自由市場と帝のいる朝廷は相いれない。危機感を持った金国が梁山泊を裏切るのである。そして、楊令は、暗殺者に殺される。これが楊令伝のあらすじだ。

 楊令が暗殺され、頭領に呉用が着く。しかし、呉用からの指示は来ない。戦をするにも、交易を進めるにも支持は出ないのだ。これに、各将軍達も戸惑う。史進さえも戸惑うのだ。要は、自分の頭で今何をすべきかを考えろというのが、呉用のスタンスなのだ。トップの指示待ちではなく、今自分の置かれている状況で何をすべきか、トップと同様に考えろということを、呉用は、「何も指示しない」ということで示したのだ。
 この呉用の考え方、ポスト近代の今とよく似ている。前期近代、高度経済成長の頃は、一部のトップが行き先を指示し、部下は正確に実行すればよかった。ところが、先行きが不透明なVUCAの時代の現代、一人一人がきちんとトップと同様の能力が求められるのだ。梁山泊、金、南宋の三すくみ状態の混沌とした時代に、それぞれがそれぞれの行く末を考えることが求められたと、読んでいて、思った。


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