やっと、この事件の動機のようなものが報道された。中国政府は「偶発的な事件」として政治問題化を避けてきたが、犯人は次のように供述しているという。「職探しがうまくいかず不満を持っていた」「何か大きなことをすれば自分が注目され、日本人を刺せば反響が大きく、自分を支持してくれる人もいるだろうと思った。日本人学校の場所はネットで探した」と。男は定職についていなかったらしい。
この犯人の男の供述を読んだときに、頭によぎったのは「JOKER」だ。2019年に封切られたこの映画は、社会現象を巻き起こした。バットマンの敵役であるJOKERだが、心優しい男が「殺人鬼JOKER」に変貌していく過程を丁寧に描いている。この映画の影響か、日本でも「JOKER」を模した事件が発生した。改めて、誰の心の中にも「JOKER」は潜んでいるということは自覚しなければならない。自分の中の「JOKER」を抑え込んでいるのは、理性であり、相手の気持ちを図るシンパシーだろう。自分の報われない境遇への不満が、理性やシンパシーの蓋を弾き飛ばした時、誰もが「JOKER」になりうる。
今、「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」が上映されている。「フォリ・ア・ドゥ」とは、フランス語で「二人狂い」を意味し、1人の妄想が他の人に感染して同じ妄想を共有する精神障害を意味するらしい。この映画、果たしてどんな映画なのか。再び、JOKERの狂気が現れるのか、それともJOKERの内面に切り込む映画なのか。観るには、覚悟が要るだろう。
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