次はAI対応?!

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 現在、読売新聞の教育欄で「新学力 第4部 次期を見据えて」が連載されている。内容は、
第1回・・・国語「論理」「文学」どう両立
第2回・・・学校独自のカリキュラム
第3回・・・モノづくり どう興味喚起
である。現行の学習指導要領の課題や問題点を、教育現場を取材することで浮き彫りにしている。第3回では、かつて私も関わった兵庫教育大付属中学校のSTEAMラボがクローズアップされていた。懐かしい名前も掲載されており、「科学部、頑張っているね!」と心の中で呟いた。

 日本の教育は、とかくアメリカの影響を受けることが多い。兵庫教育大学附属中学校がSTEAM教育を進めるのも、アメリカでSTEM教育からSTEAM教育へと発展した教育界の動きがある。アメリカで理数教育というものが課題になったからだ。日本でも理数離れが進んでおり、理数分野での人材育成が必要という意味では、STEAM教育はsociety5.0を唱える経産省の動きと合わせて、教育の重要な一分野であろう。しかし、気を付けなければならないのは、STEAM教育を教育の最上位に位置付けて、この視点から全ての教科学習を捉えようとする考えである。このように考えてしまうと、芸術教育や国語教育と理数教育をメインに据えるSTEAM教育との関連を考えるあまり、教科教育の本質を歪めてしまう危険性がある。いくらSTEAMにArtがあるとはいえ、この点を十分に注意しなければならない。教員は、STEAMと言えばSTEAMに大きく針が触れ、教科横断と言えば教科横断に針が触れてしまう傾向がある。教育というものをメタ的に捉え、新しい課題が教育全体の中でどのように位置付くのかということを、自分の中で消化しなければならない。そうでなければ、10年ごとに学習指導要領が改訂されるたびに、針が大きく振れることになる。
 特に気を付けなければならないのは、新しい教育課題を研究している学者に対してである。学者は、自分の研究課題が一番重要で本質な課題であると誇りに思っている。(それ自体は、当然のことだが)だから、研究の位置付けについても、大上段に構えて位置付けてくる。そのため、まともに受け止めてしまうと大きく針が触れることになるのだ。これは、学者というものの本性であり、これを是正しろと言ってもなかなか難しい。やはり、現場の教師がきちんと自分の中で整理するということが課題だ。

 さて、次期学習指導要領はどうなるか。私は、AIに対してどう対応するのかということが大きな課題になるのではないかと考えている。今後、AIは、ますます発展していき、私たちの日常生活にもどんどん活用されてくるだろう。近い将来、AI無しには考えられない未来が到来するはずだ。AIは、万能のように思える。AIに依頼すれば、自分の能力以上の結果を生み出すことが出来るからだ。今、私が書いているブログも、テーマとキーワードを指示すれば、きれいな日本語としてブログを作成してくれることになるだろう。人間の創造性というものに踏み込んでくるのが、AIなのだ。しかし、ここで「AIが万能である」と誤解してはいけない。AIに創造力は無い。個々の事象については、個々の人間の能力を超えた創造性を持っているように見えてしまうが、AIが創造する範囲は人類総和の創造性の帰着点を超えないということなのだ。この点を考えると、次期学習指導要領で重要な点は、次の3点であろう。
1.AIをToolとしてどのように活用するのかという活用能力の育成
2.AIの創造性を超える人間本来が持ちうる創造能力の育成
3.AIにはできない分野(よく言われるのは、人としての心の触れあい、コミュニケーション能力)の育成
である。このように考えると、現在進められている探究学習は、さらに継続して進められなければならないだろうし、文学や芸術の鑑賞にも重要な意味が付与されてくる。とすると、私が推し進めようとした国際バカロレア教育にも、違った側面から重要性が見えてくるのではないか。何回も紹介するようで申し訳ないが、国際バカロレアの「10の学習像」は、かなり前に制定されたにも関わらず、その輝きは一向に失せず、逆に輝きを増しているとさえ思うのだ。日本の教育関係者は、もう一度この「10の学習者像」を土台にして、日本の教育を再構築することを考えてはどうだろうか?

=国際バカロレア 「10の学習者像」=
探究する人
知識のある人
考える人
コミュニケーションができる人
信念をもつ人
心を開く人
思いやりのある人
挑戦する人
バランスのとれた人
振り返りができる人


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