テスト作成 先生いらずー揺れる教育現場2⃣


 このタイトルは、昨日から始まった読売新聞「情報偏食」第3部の2回目の記事のタイトルである。千葉県の公立高校の先生がテストを作成するときに、英文読解の問題の作成をChatGPTに依頼した時、予想以上の問題文と解説を作成した。その時の先生のコメントである。また、医学部をめざす現役の受験生が、高校の宿題をChatGPTを使って作成する記事も出ていた。思った以上に、教育界へのChatGPTの影響は大きい。というか、今後のことを考えると、計り知れないものになるだろう。確かに、知識を習得するためには、「先生いらず」になるかもしれない。生成系AIのほうが、よほど個別最適化した教育指導をしてくれるかもしれない。
 こういう状況になると、確かに従来の教育スタイルは意味を為さなくなってくるだろう。集団を相手に先生一人が教室で授業をする明治以来の日本の教育スタイルは、加速度的に意味を為さなくなるかもしれない。そうすると、どのようなスタイルが学校に繰り広げられるであろうか?おそらく、現在進められようとしている「主体的・対話的で深い学び」をもっと進化させた「反転学習」が主流になるのではないかと予想する。知識を習得するのは、生成系AIで事足りてくる。それならば、知識の習得は、家庭学習として生成系AIで行い、学校では集団でしか実施することができない、より「対話的で深い学び」を実践することが求められる。記事でも指摘されているようにChatGPTで作成した内容には、誤りが含まれていることがある。また、同じテーマでも聞き方を変えることで、より深くより正確に生成系AIは、回答を導き出すだろう。それらを学校で持ち寄り、「外化」することにより、より学びを「深化」させていくことが重要ではないだろうか?この記事を読んで、前のブログで紹介した松下佳代先生が提唱する「対話型論証法」の重要性をますます確信した。
 問題は、このような教育スタイルを子どもの発達段階でどのように取り入れて行くかだ。新井紀子氏が指摘するように、「教育現場で使える生成系AIの構築」が急務だろう。小学生には、生成系AIをどのように使えばよいかを指導しなければならない。教育現場では、ICTの普及が最も遅れた分野の一つである。教員もICTに長けた人は少ない。おそらく、今後この生成系AIについては、強い反発が起こることが考えられる。現在の日本の大学の対応のように「一切使用禁止」的対応をするのではないか。しかし、便利なテクノロジーは、禁止しても無駄であることは、今までの革新技術の普及を見てみれば明らかである。携帯電話、スマホがよい例だろう。「子どもに持たすのは良くない」「学校には持ち込まさない」と初期には言われていたが、何のことはない。学校はスマホと付き合わざるを得なくなった。おそらく、というよりほぼ確実に教育現場は、生成系AIと付き合っていかなければならない。日本の教育は、世界標準からすると、10年以上遅れている。もしかすると、生成系AIを利用した革新的な教育スタイルを構築することで、この遅れを取り戻し、「フロントランナー」に躍り出るかもしれないが、淡い期待かもしれない。


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