岡山県PTA連解散!

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 とうとう、ここまで来たかという感じだ。価値観の多様性が進み、また保護者の就業状況が変化する中で、どの学校もPTA活動の運営が難しくなってきている。私は、高校のPTA活動に関わるのが中心だった。クラスのPTA役員を選出するときでも、必ず言われるのが「小中学校の時と同じくらい会議があるのですか?」だった。高校は、校区が広くそれほどPTAの会議が頻繁に行われるわけではない。小中学校のPTA活動がかなり負担が大きかったのだろうと推察する。共働きの保護者やシングルの家庭にとっては、月1回の会議でも仕事の都合をつけたりしなければならず、負担は大きいと思う。
 もう一つ、PTA活動で支障が出るのは、人間関係だ。誤解を恐れず言うと、PTA活動に熱心な人ほど、「ボス的」気質があり、自分たちがやってきた活動を次年度以降にも引き継がせようとする。これが確執を生んでしまう。次の年度のPTAが、同じようにしようとしなかったりすると、すぐに「あの人たちは・・・」というように、低い評価をするのだ。当然、そのような風評は現役のPTA役員の耳にも入る。良い気がしないのは当然だ。最低限度のPTA活動を保証してくれれば、どのような形のPTA活動をするのかは、その構成員の人たちで決めればよいのだが、なかなかそうはいかない。自分たちがやっていることを悪く言われた経験を持つような人、そのような評価を下す人がまた同じ学校にいるようなことになると、たとえ、PTA活動に関わろうと思っていた人でもやる気が起こらないだろう。こんな人間関係の負の部分もPTA活動から足が遠のく要因になっているのではないかと思う。

 それともう一つ。これは新聞などでも言われることだが、PTAの都道府県連、全国P連などへの帰属する意義が感じられないということだ。元々PTAというのは、自校の教育活動の充実を図るための保護者と教職員の組織である。市内の小中学校であれば、よく似た環境の中で実践の交流などの意義も見いだせるだろう。しかし、都道府県レベルになると、あまりにも自校の教育活動の充実という原点から遠ざかっていく。ましてや全国P連への帰属にどこまで意義を見出せるだろうか。

 全中の開催意義と同じように、PTA組織もどのような組織形態にするのが、現状にあっているのかを真剣に議論する時期に来ているようだ。


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