読売新聞「情報偏食」第3部ー揺れる教育現場


 5月29日から読売新聞で「情報偏食」第3部がスタートした。読んでみると、「ホントか?」と思えるほどの、「都市伝説の妄信」である。また、ネットに依存した子どもの姿である。「バナナ320本で死ぬ」と給食の時間に大声を出した男子児童、大学選択でネットの声を信じていきたくもない学部を選んだ女子高生、ネットを検索して先生に小学校で習う範囲を超えた質問を繰り返す小学生。異常である。ICT教育の推進から、一人一台端末の配布、そしてコロナ禍でオンライン授業の推進など、ここ数年にわたって、学校現場にインターネットがかなり深部まで入り込んでいる。情報の選別が十分にできない小中学生(高校生も含まれるだろう)にとって、ネット上にあふれる刺激的な情報は、「深い底なし沼」にはまり込むようなものである。この時に、求められるのが、真偽を見抜く力であろうと思う。
 この真偽を見抜く力のヒントになるのが、京都大学の松下教授が提唱する「対話型論証法」ではないかと思う。これは、下記の左図(青)のように、主張をするときに、事実・データをもとに述べ、その事実・データに基づく論拠を提示するものである。さらにその主張に対して右図(赤)では、青の主張に対する反論が行われる。それも同じように根拠を示して、論拠を提示するのである。このような思考方法を訓練することが、高校段階からではなく、小学校段階から必要になるのではないだろうか?新聞記事にも「カモノハシ」の話が出ていた。本物のカモノハシの写真ではなく、精巧な彫刻の写真である。子どもたちは、その写真を「本物」と認定した。理由は、「ネットの上位に出ていたから」である。これでは、物事の真偽を見分ける力はつかない。ネットで調べた質問を続ける子どもに悩まされ続ける小学校の教師の姿が紹介されていたが、この「対話型論証法」を取り入れた授業をやってはどうかと思う。そうすれば、如何にネット上の情報があやふやで、不確かなものか、自分たちが「ホンモノ」を見る目が欠けているかが、わかるのではないだろうか?
 実は、この「対話型論証法」は、「主体的・対話的で深い学び」の「深い」に該当する。多くの学校で、「主体的・対話的」な学びは実践されつつあるが、「深い学び」はまだまだである。この深さをどこまで追求できるかが、この「情報偏食」を克服する道ではないだろうか。

https://www.d-argument.net/ より


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