徹底検証 日清・日露戦争

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 文芸春秋から発刊されている新書「徹底検証 日清・日露戦争」を読み終えた。読もうと思ったきっかけは「逆説の日本史」の執筆者である井沢氏が紹介していたからだ。井沢氏の論点は、「乃木大将は、果たして愚将か」ということである。あの近代要塞化された旅順要塞をわずか半年で陥落させた事実から、井沢氏は「愚将とは言えないのではないか。事実、奉天会戦においてロシアのクロパトキンは、『乃木がやってくる』と乃木の優秀さを恐れている」と主張している。この著書にも同様の事が書いてある。確かにクロパトキンは、乃木を怖れたようだ。
 少し話が、先走りすぎた。この本は、軍事や日本の近現代史の専門家が集まり、明治維新によって誕生した近代国家日本が経験した二つの大戦を、徹底検証している。半藤一利氏、秦郁彦氏、原剛氏、松本健一氏、戸高一成氏である。色々、意見が対立する場面もあるが、実相としての日清・日露戦争がどうだったのかということを知る上では、貴重な本だと思う。203高地や日本海海戦は、映画されていたりしているので、イメージが出来上がってしまっている。更に、司馬氏の「坂の上の雲」があまりにも有名であるため、この小説に書かれていることが、まるで史実であるように思われてしまっている面もある。司馬氏が「坂の上の雲」を書いた頃には、公開されていない資料が近年公開され、防衛省の研究組織で分析が進められているようだ。
 日本海海戦といえば、「丁字戦法」というのが、その代名詞となっているが、実は丁字戦法は取られていない。艦隊並行戦法が取られている。そのために敵前大回頭が取られた。また、旅順要塞攻略には28インチ砲が絶大なる威力を発揮したが、なぜか戦争後には白兵主義が強調されるようになった。この辺りも、乃木大将の精神主義の影響があったことが語られている。陸軍にしろ、海軍にしろ、この日清・日露戦争の勝利がどのようにもたらされたのかの総括が十分ではない。近代戦は、火力主義であり、物量がモノを言う。そしてその物量を支える国力というのが、戦争の趨勢を決めるのだということが、十分に認識されずにいたのだろう。いや、もしかしたら、軍の首脳部は認識していたかもしれない。日本の国力が、欧米の国々と比較して差があることをわかっていたがために、それをカバーするために精神主義を持ち出したのかもしれない。
 この合理主義の不徹底さについては、今も私たちの中にある。今朝も北朝鮮は、ミサイルを発射した。露朝は「軍事同盟」を結び、核ミサイルはロシア・中国・北朝鮮とも増加している。その最前線にいるのが核を持たない日本なのである。リアリズムの感覚を持つ国なら、北欧のようにNATOに加盟し、国防を考えるだろうし、もしかの準備をする。フィンランドは、全国各地に核シェルターを用意し、国民550万人のうち480万人が避難できるらしい。ところが、日本はミサイルが発射され、Jアラートが鳴っても避難する場所がないのだ。なんとリアリズムに欠けた国かと思う。日清・日露戦争の総括は、未だ私たちに根づいていない。

この本の一番最後に半藤氏が次のように語っている。
「歴史的真実を隠蔽して、美談ばかりがつくりだされた。あまりに見事に勝ってしまったために、神話がどんどん膨らんでいったのです。そして、明治天皇が亡くなり、乃木さんが”殉死”した瞬間が、明治国家が頂点に登りつめたとき、といえるかもしれません。このあとは下降するばかりとなる。夜郎自大となり、リアリズムを忘れた国家がたどる道は、いつも同じだと思いますよ。」

この言葉は、今も私たちに教訓と示唆を与えてくれていると思う。


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