中教審答申、読んでみた!

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 中教審「質の高い教師の確保特別部会」は5月13日、「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について(審議のまとめ)(案)」(以下、「まとめ案」)を公表した。この答申は、教員の働き方改革、そして質の高い教員の確保に関して、どのように改革を行うのか、その提言をまとめたものである。今後の教育行政や学校現場の在り方に大きな方向性と影響をもたらすものなので、まずは、答申を読んでみた。

1.危機感は、持っているようだ
 まずは、中教審の特別部会が、現状をどのように考えているのかである。そこには、次のように書かれている。

現在の教師を取り巻く環境を改善しなければ、我が国の教育の質の低下を招きかねないと考えられる。このため、このような教師を取り巻く環境は我が国の未来を左右しかねない危機的状況にあると言っても過言ではない。(p7)

依然として時間外在校等時間が長い教師が多いという実態があり、これを深刻に受け止め、更なる学校における働き方改革を加速化する必要がある。(p7)

今もなお教師の過労死等は発生しており、このことを教育に関わる全ての者が改めて重く受け止め、決してあってはならないとの思いを新たにする必要がある。(p8)

危機感は、持っているようだ。この危機感は、公教育に関わる者の多くが共有できるだろう。だからこそ、「定額働かせ放題」になっている給特法を廃止して、労働基準法の適用を行うことで、労働に対する正当な対価を行うこと、教員定数の見直しを行い、教師の授業時間数を減らすこと、スクールロイヤーなどの多様な人材を配置することが求められる。教員定数の見直しの必要性は認めているし、「チーム学校」として、様々な人材配置と連携は答申に盛られている。ただし、「定額働かせ放題」となっている給特法の基本は維持するのだ。その理由は何なのだろう。

2.給特法に踏み込まない理由
①教職と一般行政の違い
 まず、教職と一般行政職の違いについて、以下のように記述している。

教職の性質は全人格的なものであり、教師は、一人一人がそれぞれ異なるとともに、成長過程にあり、日々変化する目の前の子供たちに臨機応変に対応しなければならない。このため、業務遂行の在り方として、どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、一般行政職等のように逐一、管理職の職務命令によるのではなく、一人一人の子供たちへの教育的見地から、教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい。(p49)

また、教師の業務については、教師の自主的で自律的な判断に基づく業務と、校長等の管理職の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われており、これを正確に峻別することは極めて困難である。(p49)

さらに、必要となる知識や技能等も変化し続ける教師には、学び続けることが求められるが、例えば、授業準備や教材研究等の教師の業務が、どこまでが職務で、どこからが職務ではないのかを精緻に切り分けて考えることは困難である。(p49)

こうした一般の労働者や行政職とは異なる教師の職務の特殊性は、現在においても変わるものではないため、勤務時間外についてのみ、一般行政職等と同様の時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではないと考えられる。(p49)

時間外勤務手当を支給すべきとの指摘については、教師の職務等の特殊性を踏まえると、通常の時間外勤務命令に基づく勤務や労働管理、とりわけ時間外勤務手当制度には馴染まないものであり、教師の勤務は、正規の勤務時間の内外を問わず包括的に評価すべきであって、一般行政職等と同様な時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではない。(p50)

この認識は、労働基準法が適用されれば通用しない。自己研鑽は、時間外労働と認識されないということは基本であるが、この自己研鑽という概念を、労働基準局は幅広く認識している。つまり、仕事に関係する研鑽については、時間外に行うならば業務として認識されるべきというスタンスだ。例えば、医者が自分の力量を向上させるために、研究論文を読んだり、技術を磨くのは、自己研鑽である。しかし、この自己研鑽は業務として認識される。この認識については、私が勤めた附属中学校での社会労務士の研修で知った。だから、ここに記載されている「授業準備や教材研究等の教師の業務が、どこまでが職務で、どこからが職務ではないのかを精緻に切り分けて考えることは困難である。」という認識は通用しない。

②国立・私立学校との違い
すでに労基法が適用され、労務管理が行われている同じ業種の国立・私立の学校との違いについては、次のように言及している。

国立学校や私立学校では時間外勤務手当の支払いがなされており、公立学校も対象とすべきであるとの指摘もある。この点については、職務の特殊性は、国立学校や私立学校の教師にも共通的な性質があるが、
・公立学校の教師は、地方公務員として給与等の勤務条件は条例によって定められているのに対し、国立・私立学校の教師は非公務員であり、給与等の勤務条件は私的契約によって決まるという勤務条件等の設定方法の違いは大きいこと
・公立の小・中学校等は、域内の子供たちを受け入れて教育の機会を保障しており 、在籍する児童生徒等の抱える課題が多様であることなど、国立・私立学校に比して、公立の小中学校等においては相対的に多様性の高い児童生徒集団 となり、より臨機応変に対応する必要性が高いこと
・公立学校の教師は、定期的に学校を跨いだ人事異動が存在することにより、特に社会的・経済的背景が異なる地域・学校への異動があった場合等においては、児童生徒への理解を深め、その地域・学校の状況に応じて、より良い指導を行うための準備を行う必要があるが、それをどのように、どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きいこと
など、職務の特殊性が実際の具体的な業務への対応として発現する際の有り様は、公立学校の教師と国立・私立学校の教師とで差異が存在する。(p51)


だからといって、国立・私立で労務管理ができているのに、公立ではできないという理由になっているのかと言いたい。確かに、地域に依拠する公立学校(特に義務教育)については、多様な生徒が学校に通う。だから、教師の業務が多岐にわたることになるだろう。だからこそ、教員の多忙化に結び付いているのだが、だから「労務管理ができない」という理由になるだろうか。私が、今まで一緒に働いてきた教員たちは、学校にいる限り教育に関わる仕事をしていた。多岐にわたるが、子どもたちに関わる仕事、授業に関わる仕事、教員の力量を伸ばす仕事をしていた。時々、そうではない教員にも出会ったが、それは稀である。「できないための理由」を探しているようにしか思えない。

この答申で、答申自身が述べている危機的状況を打破できると、本当に思っているのだろうか。答申が言うように、「このような教師を取り巻く環境は我が国の未来を左右しかねない危機的状況にある」にもかかわらず、この危機的状況をさらに深刻化させるのは、この答申自身だ。





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