とにかく、「ぬるい」道長君


 大河ドラマ「光る君へ」の勉強のために、2冊目、倉本一宏氏の「藤原道長の権力と欲望」を読んでいる。でも、もう読むのをやめようと思う。面白くないのだ。これは、著者である倉本氏のせいではない。この本の切り口は、とても面白いし、興味もそそられる。この本は、道長の「御堂関白記」と、同時代を生きた藤原実資の「小右記」、そして、藤原行成の「権記」という日記を読み比べて、道長の人となりに迫ろうという志向である。同じ事象を道長はどう記述し(記述しなかったり)、周囲はその事象をどのように捉えているのかという比較をしているので、道長の考えや周囲の評価もよくわかる。
 最初に、断っておかなければならないのは、日記という言葉から受け取る我々のイメージである。平安時代に詳しくない私にとっては、極めて個人的な感情や考えを記述し、人には見せないものとして日記をイメージする。ところが、この時期の「〇〇日記」というのは、そういう個人的なものではなく、人に読まれる、公開されることを前提とした、どちらかと言えば公式記録や仕事上の備忘録に近いのである。だから、道長の「御堂関白記」は、世界記憶遺産として登録されているのだ。
 ところで、実資と行成である。「光る君へ」では、実資はロバート秋山が演じている。藤原兼家(段田安則氏)や藤原道隆(井浦新氏)の専制的な政治に対し、不満を持っている公卿として描かれている。ドラマ上でも酒を飲みながら不満を口にし、お相手の女性(妻かどうかわからないが・・・)に、「日記にお書きになればよろしいじゃないですか」と言われている。それが、「小右記」だ。道長とは、表面上協力的だが、日記に書かれていることは、かなり批判的である。行成は、渡辺大知氏が演じており、道長のシンパである。藤原斉信、藤原公任とともに、道長の仕事仲間として描かれている。

 さて、本題に戻ろう。道長君である。ドラマでは、道長君は、権力欲の無い、下々の事を思う心優しく、お上に寄り添う公卿として描かれており、5月5日の放送でも、姉である詮子が「道兼亡き後の関白に道長を!」と、涙ながらに訴えている。ドラマでは、道隆の長男、伊周は権力欲の強い公卿として描かれているが、実際の道長も権力欲の強い公卿なのである。日記に書かれていることをかいつまんでみると、
①自分の地位と権力を維持するために、娘彰子に一刻も早く御子が生まれることを願っていること
②御子が生まれた後は、定子の御子ではなく、彰子の御子が立太子されることを望んでいること
③伊周の恨みを恐れていること
④一条天皇や三条天皇との確執が深いこと
など、己の権力欲を中心につづられており、「小右記」では批判的に書かれている。「権記」では、天皇と道長の間を取り持つ行成の努力や苦悩が見て取れるのだ。今回の放映では、道長が右大臣の内覧まで昇りつめ、朝廷の中で最高権力者となったが、次回以降では伊周らの自滅、彰子の入内などが描かれていくことになるだろう。採食系のように描かれている道長君が、今後彼の肉食系の部分がどのように描かれていくか、それなりに楽しみだ。

 しかし、本音を言うと、全然面白くない。実際の摂関政治と大河ドラマの乖離が著しいからだ。確かに、道長はスポンサーとして紫式部を支援したが、それは、一条天皇の興味を彰子に向けさせるために、彰子のサロンを華やかにするためであって、幼馴染とか、恋仲とかという関係は、到底考えられない。あまりにもフィクションが強過ぎる。大河ドラマというのは、ドラマなのだからそれなりにフィクションが入ってくるのだが、歴史上の人物の生きざまがベースになっているので見ごたえもある。が、あまりに現実と離れると興ざめする。前回の家康と築山殿との関係もそうだった。

 そこで、歴史家はどう思っているのだろうと、何か良い本がないかと本屋で探していると、ちょうど「光る君へ」の解説本のような雑誌を見つけた。その中で、本郷直人氏が書いているのだ。これを読んで、納得した。氏が言うには、
①平安中期の摂関政治に関する研究は、歴史学会でも研究が薄い。その前後の奈良時代、平安末期から鎌倉は厚い。
②なぜなら、平安の前後は、歴史が大きく動き、パラダイムシフトが起こっているからである。中国の先進的文明を学ぼうと派遣された遣唐使は、4隻のうち1隻は必ず沈むと言われた。まさに命がけだった。源平から鎌倉幕府の武士政権の樹立は、まさに歴史の大きな転換点である。
③このことを考えると、摂関政治は、内輪の権力闘争で、結局のところ道長が政権を取ろうが、ライバルの伊周が政権を取ろうが、やっていることはほとんど変わらない。誰が権力をとっても同じなのである。
④本郷氏曰く、「私の妻は、この時代のことを『ぬるいお湯の中で、おならをしているような時代だ』という。私も全面的に賛成だ」である。

なるほど!である。通常、このような解説本は、ドラマに興味を持ってもらうように書くのが普通だが、この氏の書きっぷりは、真逆である。これを読んで、道長君に興味を持つような人はいないだろう。これでモヤモヤは吹き飛んだ。道長が政治家としてどんな業績を残すのか、興味津々だった。なぜなら、ドラマではまひろが道長に向かって、「直秀のような下々の事を考える政を、あなたしかできないことを!」と言っているからだ。しかし、道長の政治には、何もないことが判明した。まあ、ぬるい道長君とまひろの恋愛物語として見るしかない

最後に二つ。一つは、道長君は、相当ビビりで、呪詛を恐れている。伊周も左遷から1年で呼び戻している。この時代の貴族の典型だ。もう一つ、下々の勉強をしようと思い、「荘園ー墾田永年私財法から応仁の乱まで (中公新書 )」を買った。


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