生成AIの暗部

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 4月30日の読売新聞のTOPに、教育現場における生成AIの活用に関する報告が掲載された。おそらくこんなことが起こるだろうと思っていたことが記載されていた。報告されていたことは、
★英作文の宿題で、英文で日記を書く宿題で、AIの丸写し
★大学生では、AIによるレポート作成
というものだ。ある大学生によると、あまり重要ではない科目に時間をかけたくないため、さりとて単位も取得したいために、AIを活用してレポートを作成することに、罪悪感が無いようだ。

 生成AIの活用は、これからのメインになってくるだろう。活用できる者と活用できない者の格差が発生してくることも懸念されている。だから、研究者の中には、「学校現場で積極的に活用すべき」と主張する人もいる。みんなが生成AIを使いだしたら、どんな世の中になるのだろう。生成AIが出した結果を「正解」としてみんなが思い始めたら、均質化した世の中になるのではないか。
 例えば、プロジェクト会議を想像してみよう。課題を与えられ、その解決プランを提案する会議を行ったとしよう。生成AIを活用した解決プランは、どれも似たり寄ったりとなるのではないだろうか。そこには、斬新なアイデアや独創的なプランというのは、なかなか生まれない。そうなると、どこの組織も成長がストップするのではないだろうか。結局、解決プランのレベルが、生成AIが生み出すレベルでストップするということになる。生成AIを活用することのみに長けて、思考力が低下するようになると、こんな未来が待ち受けているのではないだろうか。

 どうすればよいだろうか。生成AIを使いこなすことも大事だが、生成AIを使う場面と使わない方が良い場面を見極めることが大事だろう。また、様々な観点から生成AIを活用する多面的・多角的な視点が重要になってくる。さらに言えば、多面的・多角的な観点で生成されたAIの回答を統合する力が求められるのではないだろうか。少なくとも、このような力を身に付けることをしなければ、生成AIにばかり頼る若者は、社会では役に立たないように思う。なぜか。社会は複雑怪奇で、何が起こるかわからないからである。ピンポイントの回答が求められることばかりだからだ。無難で誰もが導き出せる生成AIの回答では、太刀打ちできない場面が社会では、圧倒的に多いのだ。

これから生成AIを巡る議論は、紆余曲折を経るだろう。その結果、どんな未来が到来するのか。人類の岐路になるだろうと言っても大げさではない。


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