歴史探偵「日露戦争」に疑問

,

 4月3日に放映されたNHK歴史探偵、「日露戦争」について物申したい。私は、この番組を毎回見ている。歴史の真実に迫る番組として、興味深く見ている。本能寺の変で明智光秀がとった行動や米騒動の発端に迫る番組などはとても面白かった。巷で言われている私たちが抱いているイメージを覆すものである。それを歴史の新発見や科学的データ、資料に基づいて検証しているので、「ほー、そうだったのか」という新たな発見があったり、見方が変わったりする。
 そこで、今回の「日露戦争」だが、検証したのは、日本・ロシアの双方の見解の相違、「すれ違い」というもので、もしかしたら「日露戦争は回避できたのではないか」という検証である。現在、様々な戦争、ウクライナ戦争や中東ガザでの戦闘が起こっている中で、戦争へ至るプロセスを明らかにし、教訓にしようというものである。
 番組では、①三国干渉②大津事件③露日協商というポイントで組み立てられている。まずは、①三国干渉である。言わずもがなの事であるが、日清戦争の勝利によって清から遼東半島を獲得した日本に対して、清に返還しろとロシア・ドイツ・フランスが迫ったものである。主導したのはロシアだ。清での利権を目論んでいるロシア、そして太平洋に出る不凍港を獲得しようとしているロシアにとって、日本の大陸への進出は目障りだったのである。そう、まさに「目障り」という感覚だ。だから、三国干渉で日本国民は「臥薪嘗胆」という言葉でロシアへのリベンジを誓うが、ロシア側は「日本がそこまで怒るとは思わなかった」と感じている。まさに、ロシアは、極東の小国である日本を歯牙にもかけていないのだ。舐め切っている。
 そんな国民感情の中で勃発するのが、②大津事件である。官憲がロシアの皇太子であるニコライを襲いケガを負わせた事件だ。この事件の前までは、ニコライは、日本にとても良い感情を持っていた。日本人を妻(実際は、妾だが)にしようとまで考えていたという。一国の皇太子が襲われたのだから、「すわっ、戦争勃発か!」と思われたが、番組では明治天皇の御尽力、日本国民の謝罪とお見舞いによって、事なきを得たと伝えた。ところが、この事件以後、ニコライの日本観は大きく変わっており、「日本人は信じられない」という方向に大きく変わったのだ。この点は、伊沢氏の「逆説の日本史」に詳しく書かれている。当時のロシアは、皇帝の権力が絶大で、皇帝の意見によって政治が決定されている。立憲君主制の日本とは大きな違いがあるのだ。
 ロシアが、中国への南下政策を強め、益々満州及び朝鮮半島に進出を強化しようとしていた時、日本では、主戦派と平和共存派に分かれていた。主戦派は、「ロシアは信用できない」とした山県有朋、平和共存派は、「ロシアは強大な国で、戦争しても勝つ保証がない」とした伊藤博文だ。この点については、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に詳述されている。小説とはいえ、事実は正確に抑えられているので、是非日露戦争を詳しく知りたい方は、読んでほしい。伊藤は、ロシアとの戦争を避けるために、満韓交換論を唱える。日本は満州に進出しないから、ロシアは大韓帝国に手を出すなというものだ。このような、複雑な国際情勢の中で、日英同盟が締結される。それまでどこの国とも同盟を結ばなかった英国が、極東の小国日本を選んだということで、日本国民は、狂乱乱舞した。このあたりは、英国の事情もあるのだが、ここでは書かない。前述の井沢氏の本を読んでほしい。この同盟により、日本は③露日協商締結を諦め、主戦論に傾いていくのである。
 そこで、番組ではロシアの見解として「まさか日本が戦争に踏み切るとは思わなかった」と述べている。当時のロシアの関心事は、清国での利権であり、日本などは眼中に無かったのだ。つまり、番組が主張するような、「双方の行き違い」「すれ違い」「見解の相違」というような問題ではないのだ。それならば、どこかで胸襟を開いて双方が話し合えば、互いに理解が促進されるという対等平等の国同士の関係を前提としなければならない。しかし、ロシアと日本の関係は、一方的に日本がロシアを脅威と感じ、ロシアは日本がそんな感情を持っていても、相手にするほどでもないという、完璧に舐め切った態度だったということである。この姿勢は、現在のプーチン政権にもある。わずか三日でキーウを陥落させるとした軍事作戦なのだ。あれから3年目に突入しているのである。未だ、戦争は続いている。

 今回の歴史探偵の「日露戦争」には、疑問を呈することが多かった。なぜ、大津事件が起こったのか。なぜ、ロシアは日本が戦争するなどとは思わなかったのか、もう少し「探偵」してほしかったと思う。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP