福来すず子の子育て


 現在放送されている朝ドラ「ブギウギ」も終わりに近づいてきた。今週は、すず子とその子どもの愛子との関係がテーマだ。愛子も小学校2年生になっている。ところが、なかなか友達ができない。心配したすず子は、愛子の誕生パーティを自宅で開くが、それもうまくいかなかった。そんなところに、愛子の誘拐に関する怪電話が飛び込むという設定だ。実は、この怪電話の犯人が、初めて愛子にできた友達、一君の父親という話で、愛子と一君の中が裂かれてしまうという結果になり、余計にすず子と愛子の中がややこしくなる。最後は、ハッピーエンドになるが、まああらすじとしてはこんな感じだ。

 さて、世の中の親は今週の「ブギウギ」をどう見ただろう。特に、母親たちはどう見ただろう。福来すず子の子育ては、明らかに過保護で過干渉だ。自分の事を「マミー」と呼ばせていることからして、世間とはズレている。子どもも一人だけ。親の愛情を子ども一人に注ぐ過保護と過干渉の現在の親たちのはしりのようだ。ここで、重要な役割を果たす人がいる。家政婦の大野さんだ。大野さんは、常にすず子に「ほっときましょ!ほっといても子どもは育ちます。」「愛子ちゃんは、自分で何とかします」とアドバイスする。ところが、すず子は「わかっているんですけど・・・」「せやけど・・・」と納得しない。一君との仲を裂かれた愛子が学校に行こうとしないとき、言うことを聞かない愛子に「今日こそ、是が非でも連れていく」と強硬策に出ようとしたすず子に「すず子さん!いけません!愛子ちゃんはわかっています。このままではだめだとわかっています。ちゃんとこうやって朝食もたべにきているじゃないですか!」といつも以上にすず子を窘める。こういう大野さんのような存在が重要なのだ。

 昔、核家族でないときは、この役割は祖母や祖父が担ってくれていた。特に祖母は子育ての先輩だったので、子どもがどうやって育っていくのか、経験済なのだ。さらに、戦後は兄弟姉妹が多かった。それに、親も自分たちの生活で精一杯だったのだ。いちいち子どもの事に構っていられない。だけど、そのほうが子どもは逞しく育つとわかっていた。今は、どの家庭にも大野さんのような人はいない。それが更に親の過干渉・過保護を助長している。いつまでも子離れできない親たちがいるのだ。その結果、子どもも親離れできていない。

 今の就職戦線は、人材不足で売り手市場だ。企業は、優秀な人材を確保するために必死だ。最近、内定を出した学生を確保する決め手は、保護者の決断だという。保護者が「了」と判断した会社に子どもも就職するらしい。だから、企業は保護者向け説明会を開催する。「おいおい、ここまで来たか!」という状況だ。自分がこれから働く会社は自分で決めろよと言いたい。親が働くのではないのだ。こんな経緯で入社した若者は、何か壁にぶつかったときに、「親が決めた会社だから・・・」と親のせいにして、辞めるのではないか。私が高校の現場で生徒に何か決断を迫るとき、必ず「自分で決めろ!」と言ってきた。それが社会人の基礎だと思ってきたからだ。娘が高校を中退する時も、「辞めるか続けるか、自分の口から学校に言いなさい」と言った。親の務めは、子どもを自立した大人に育てることでしょうと言いたい。

 今の親達が孫を持つときも、おそらく大野さんのようにはならないだろう。自分がもっと過保護で過干渉だったら、「子どもはうまく育った」と思うはずだ。そうやって、「毒親」は「毒祖父母」に変化し、さらに過保護と過干渉は続いていく。日本の子育ての未来は暗い。こんなことを今週の「ブギウギ」を観ながら考えた。


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