3.11から13年

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 もう、あの時から13年が経った。大阪府立高校で勤務をしていた私は、ちょうど職員会議の真っ最中だった。座っていると、下から何とも言えない振動が伝わってきた。大きな揺れは無かったが、今までに経験したことの無い振動だった。会議に参加していた先生方も同じような感触だったのだろう。「ン?!」「地震か?」という声が会議室のあちらこちらで上がったことを覚えている。そして、東日本でとてつもなく大きな地震が発生したことがわかった。「津波!」という言葉が頭の中に浮かんだが、まさかあそこまでの津波が押し寄せるとは、想像できなかった。何日後だろう、「えらいことになる、日本は大丈夫か!」と思ったのが、福島原発の建屋が水蒸気爆発で吹っ飛んだ時だ。その瞬間、放射能汚染が頭に走った。あれから13年である。

 当時生まれた子どもはもう中学生になっている。震災を経験しなかった世代に、震災をどのように継承するか、どのように語り続けるかが問われている。大きな役割を果たすのは、やはり学校だろう。東日本大震災から避難訓練のやり方も随分と変わった。よりリアルを追求するようになったのだ。今までは、「今日は、〇時間目に避難訓練をするぞ」などと予告があり、避難経路を確認してから合図で避難するというものだった。教員になって避難訓練をやりながらも、自分の中でそれほど重要視していなかった。なぜなら、生徒が常に教室にいるとは限らないのに、なんで教室からの避難を訓練するのかと思っていたからだ。
 震災後の避難訓練は、大きく変わった。先生方には避難訓練の内容を共有しているが、生徒には知らせない。避難経路も知らせない。今、自分のいるところで、どうやって自分の命を守るかを考えさせる避難訓練が行われるようになった。特に沿岸地区の高校では、避難訓練が真剣に行われるようになった。津波を想定して高台までの移動を行うのだ。ただ、この避難訓練でも大阪府の沿岸地区と内陸では意識に差がある。内陸では旧態然とした避難訓練が行われていた。

 今、千葉沖、和歌山沖で頻繁に小規模の地震が発生している。南海トラフ地震に向けて、真剣な避難訓練が必要とされている。しかし、私の職場でも旧態然の避難訓練だ。私の職場はナンバにあるので、津波が確実に襲ってくる。高台への避難、垂直避難が必須なのであるが、まだまだ実施されていない。これではよくないと思っているが、中々変化しないのが現実だ。


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