塩野七生さん、ありがとう!


 やっと「ギリシャ人の物語」全4巻を読み終えた。古代ギリシャ、アテネ・スパルタの起源からマケドニアのアレクサンドルが亡くなるまでの物語だ。学校では、古代ギリシャの直接民主主義というコンセプトで習うが、この直接民主主義をマネジメントすることは、そう簡単な事ではないということがよくわかる。ペレクレスという、一種天才と言えるほどの政治家がいたからこそ、直接民主主義は花開く。彼の死後、直接民主主義は衆愚政治に陥り、改革派と守旧派の派閥争いで、お互いに足を引っ張り合うことになるのだ。せっかくペレクレスが築いたアテネのヘゲモニー、デロス同盟も崩壊へと進んでいく。

 アテネとは一線を画したスパルタは、寡頭政治を一切変えない。市民権もスパルタ市民にしか認めないという頑固さを続ける。アテネの凋落後、一時期スパルタがギリシャ世界のリーダーに躍り出るが、保守的なスパルタでは、そのリーダーの任を担いきれない。あの「300」で有名なスパルタの戦士たちも、最後にはペルシアの傭兵と化すのは、何とももの悲しい。テーベやコリントという中規模都市も一時期台頭するが、時代は辺境と言われたマケドニアに移る。アレクサンドルの父、フィリッポスの時代になるのだ。彼が全ギリシャを征服することになる。ここまでは全4巻中3巻だ。

 最後の4巻目は、ほぼ全部がアレクサンドルのオリエント征服史である。読んでいて面白い。11年間も遠征に出ているのだ。最後は、兵士たちも「国に帰りたい」と訴えるが、よくぞここまでアレクサンドルについていったと思う。塩野さんも驚嘆していたが、この大遠征では、兵站が途切れなかったのだ。どんなシステムで運営されていたのだろうか。古代の記録には、記載されていないので、塩野さんも興味津々である。

 さて、このギリシャ人の物語で、塩野さんがいう「歴史エッセー」は終わりなのだ。私にとっては、古代ギリシャから18・9世紀までの地中海を巡る一大叙事詩のように思えた。もともと、この塩野さんの本を読み始めたのは、亡くなった長男の紹介からだ。彼が、「お父さん、『ローマ人の物語』面白いよ」と言ってくれたのが最初だった。そこから塩野さんの本を読み始めた。読み始めてから十数年になる。読んだ本を列挙すると、
・ローマ人の物語
・海の都の物語
・十字軍物語
・ローマ亡き後の地中海世界
・皇帝フリードリッヒ二世の生涯
・ルネサンスの女たち
・チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
・神の代理人
・ルネサンスとは何だったのか
・わが友マキャベリ
・マキャベリ語録
・ギリシャ人の物語
である。このほかにも今も文芸春秋に連載されている「日本人へ」という新書シリーズを読んだ。

 塩野さんの本を読んで、1000年続く国というものの在り方を学んだと言える。特に、多神教の素晴らしさ、支配しても自治と多様性を認めるカエサルの統治の仕方は、現在にも通じるものではないだろうか。中東の紛争やウクライナ戦争をみれば、歴史に答えがあるように思える。そして、もう一つは、一神教の怖さである。特に「十字軍物語」や「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」を読めば、中世のキリスト教支配の頑迷さがよくわかる。如何に宗教というものが、思考の柔軟性を人から奪ってしまうのかがよくわかるのだ。日本は大きな宗教戦争を経験していないので、日本人にはわかりにくいかもしれないが、宗教、特に一神教の純真さと背中合わせにある排斥の論理には気を付けなければいけない。

 このギリシャ人の物語の最後に、塩野さんはこんなことを書いている。
「今の私には、エンドユーザーたちへの感謝を述べてまわるだけの、体力はもはやない。
 と言っても、調べ、考え、それを基にして歴史を再構築していくという意味での「歴史エッセイ」は、この巻を最後に終えることに決めたので、何かは言い残す必要がある。それで、この巻の最後に載せるこの一文で代えることを許してほしい。
 ほんとうにありがとう。これまで私が書きつづけてこれたのも、あなた方がいてくれたからでした。 
  中略
 最後にもう一度、ほんとうにありがとう。イタリア語ならば、『グラツェエ・ミレ』。つまり、『1千回もありがとう』」

この最後のメッセージを読んで、涙が出そうになった。最後の文を電車の中で読んでいたので、泣くわけにはいかないので必死に堪えた。塩野さん、感謝を言うのはこちらです。地中海を舞台に時間も空間も越えた旅に、私たちを連れて行ってくれて、本当にありがとうございました!まだまだ、書いてほしいです!もっと読みたいです!


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