読売新聞で連載されている「新学力 第一部 模索する現場」で、非認知能力に関する取り組みが紹介されていた。専修大付属高校の「秘密基地『らぼる』」という選択授業である。素晴らしい実践をされていると思う。この高校で実践されていることに意見があるわけではない。読んでいて、「なるほど、なるほど」と納得しながら読んだ。だが、「非認知能力が重要である」ということは、現行の学習指導要領の改訂のときに、散々言われたことではないかと思うのだ。それを今頃、如何にも重要なことのように連載で、それも最終回に取り上げる意図がわからない。読売新聞教育部の見識が問われるのではないか。もう一度言うが、専修大付属高校の実践は、最先端の様々な知見を取り入れており、素晴らしい実践である。今まで様々なところで試行錯誤してきた実践方法を導入し、成熟した実践がされていると思う。
例えば、この「らぼる」には、卒業生がアドバイザーとして参加している。担当の杉山先生は、次のようにコメントしている。
「教師と生徒は、どうしても上下関係が生じるが、年齢も近い卒業生とは『斜めの関係』を築ける。それが発言しやすい雰囲気づくりにつながっている」と。
このコメントを読んで、多くの人が「藤原和博さんだ!」と気づいたはずだ。彼が「よのなか科」の実践を始めたのは、20年近く前ではないか。そのときに、実践手法として導入したのが、大学生や地域の若者が関わる「斜めの関係」の導入だ。この導入により、取り組みが活性化するということを聞いたときは、目から鱗だったことを覚えている。
また、杉山先生がこのような取り組みを始めたきっかけも紹介されている。15年近く前の卒業生のコメントだ。「高校で学んだことが大学で役に立たない」というのである。当時の高校(小中でも)では、コンテンツベースの授業が行われていた。特に進学校では、膨大な知識量の詰め込み教育が実践されていた。しかし、そんな教育は社会で生きていくための力(コンピテンシー)が育たない。真面目で従順な生徒ほど、卒業後につまづくのだ。この問題もまだ京都大学に勤めていた頃の溝上慎一氏から「京都大学の学生が、就活に苦労する。」という話で聞いた。
だから、この読売新聞が取り上げた内容は、約10年ほど前から語りつくされてきた内容なのだ。教育現場で先進的な実践に取り組んでいる教師にとっては、新鮮味に欠ける内容なのだ。なぜ、こんな内容を記事として載せるのだろう。記事で載せた以上、読売新聞教育部は、「価値がある内容」と判断したからだろうが、今頃になってこんな内容で良いのだろうかと思う。
記事で掲載するのであれば、せめて「非認知能力は数値化しにくいが、できないわけではない。例えば、河合塾が提供する『学び未来PASS』というツールがあり、このツールを導入している学校では、・・・・という実践がされている。」というような内容を紹介してほしいと思う。ここで取り上げられている非認知能力のほとんどが「学び未来PASS」で測定できるのだから。私も過去に校長として勤めていた学校で、このツールを導入したことがある。調査結果についての先生方の感想は、「これほど鮮明にでるのか。私たちが、日頃生徒に感じていることがまさに数値になっている」であった。このツールを活用するまでにはいかなかったが、測ることが難しい非認知能力を測定し、生徒の成長に活かしている取り組みを紹介してほしいものだ。その取り組みこそ、最先端ではないだろうか。
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