1月11日の読売新聞の教育欄、「新学力 第一部 模索する現場」の3回目に、自由進度学習の実践が取り上げられていた。広島県廿日市市の市立宮園小学校の実践である。子どもたちは、先生の一斉授業を受けるわけではなく、自分で決めた学習テーマに取り組んでいる。算数を取り組む子ども、理科、歴史を取り組む子どもそれぞれなのだ。子どもの感想も掲載されていた。
「自分で好きなように進められるし、色んなコーナーがあって楽しい。分からないことは友だちや先生に聞けるし、計画を立てる力はほかの教科にも応用できる」
なるほど、学習効果は抜群のようだ。「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適化」の課題を達成しているように思う。「自由進度学習」という言葉も初めて知ったので、ググってみた。そうすると、意外にも(私にとってはだが)多くの学校で実践されていることが分かった。
この自由進度学習、高校現場で働く私からすると、ちょっと想像することが難しい。中高の現場でどのように実践するのだろう。例えば、自由進度学習の時間は、「何かの学習に取り組む」ということが共通の前提として存在しなければ成立しない。小学生でも学ぶ意欲が乏しい、または全く感じられない子どももいるのではないだろうか。歴史漫画を読んでいる子どもの写真も掲載されていたが、本当に歴史を学びたいから読んでいるのか、それとも他に主体的に学習することが見出せないから、とりあえず歴史漫画を読んでいるのか、この辺りの見極めと指導も必要と思うのだが、どうだろう?まだまだ旧来型の教師像に捉われているのだろうかと思ってしまう。
ところで、通信制に勤めていると、「主体的・対話的で深い学び」の欠片もない。N校のように、かなり尖った学校も通信制にはあるので、通信制を一括りにはできないだろう。しかし、通信制の現場は、やはり「高卒資格のセーフティネット」の役割が大きい。彼らに「主体的・対話的で深い学び」を実践することはほぼ不可能だ。なんといっても、教室に行くまで誰が出席しているか、教師もわからない。人数も不明。参加している生徒同士もまるで互いに知らない状況だからだ。会話も対話もない。ひたすら教師の一斉授業が行われる。できる限り、生徒の理解度を計りながら授業を進めるが、生徒は「わからない」とは言わない。言うことに怯えているのだ。このような状況で、「自由進度学習」は中々難しいだろうと思う。
一方、全日制高校でこのような授業ができるかというと、それはそれでまた難しい。総合的な探究の時間でしかできないだろう。が、進学校なら受験勉強に走るだろうし、進路多様校ならそもそも成立しないだろう。中学校ではどうだろう?高校受験が控える中学校は、親からのクレームが来そうだ。どこかの研究校で、成果を挙げていかないと実践は難しいだろうと思うが、皆さんはどのように思われますか?
コメントを残す