奈良市小学校のいじめ事案


 奈良市立の小学校でのいじめ事案についての調査報告書が公表された。70ページを超える文書であるが、読んでみようと思って読み始めたが、黒塗り部分が多く、詳細な事情は判り兼ねた。だが、明らかに児童Aに対する児童Bのいじめが継続的に行われていることがわかる内容だった。
 足を蹴る、
 手を捻る
 鉛筆の先で背中をつつく
 「覚えておけよ」と脅迫する
これが特定の児童Aに繰り返し行われていれば、あきらかに児童Aと児童Bの間にはいじめによる被害-加害の関係があると普通は思う。
 この事案が決定的に拗れたのは、足を蹴ったことに対して、目撃証言があるにも関わらず、蹴った児童Bが否定したために、足を蹴ったという事実を認定しなかったこと、そのことに抗議した児童Aの保護者が「再調査と児童Bの謝罪」をもとめたが、校長が「学校は警察じゃない」と拒否したことだろう。このことにより、児童Aの保護者の学校不信がピークに達したと思われる。その後、児童Aの保護者は、警察に被害届を出し、警察が実況見分を実施しているのだ。児童Aの保護者もここまでしたくはなかっただろう。しかし、学校が自分の子どもに行われているいじめに対して、適切な対応をとらなかった故の行動と理解できる。驚くのは、この警察の「捜査」が始まったことにより、学校は管理職をはじめ「学校は何もしなくて良い。学校の調査は終わった」と思ったことだ。この感覚が理解できない。普通は、「これはまずい。保護者が相当不信感をもっている」と思うだろう。何故、このように思ったのだろうか?
 一つは、「面倒なことから逃げたい」という気持ち
 もう一つは、「この保護者はクレーマーだ」という誤った認識
両方があったように思う。おそらく、学校全体がこの事案についてこのように思っていたのではないか。少なくとも管理職はこのように認識していたようだ。だから、「花丸」を付けた担任も、この児童Aの保護者を「ちょっとしたことでいろいろ言ってくる親」と認識している。本当にこんな学校があるのだと、改めて恐ろしくなった。

 なぜ、このような認識になったのか?ここを深堀りしてほしいのだが、そこまでは報告書には書かれていない。その原因を考えるのは、奈良市教育委員会の仕事だろう。こんな認識しかできない教師を校長に据えているのであるから・・・。
 この学校では、たとえいじめ事案を訴えても「先生は何もしてくれない」という諦めと無力感が広がったようだ。学校の劣化が著しい。どの教師も「おかしい!」と声を挙げなかったのだろうか?これこそが、教師におけるAgencyの欠如である。いくら法律や学習指導要領に「Agencyらしき文言」が書かれていると主張しても、子どもは教師の生き方から学ぶのだ。困っている子どもに救いの手を出さない教師に育てられた子どもに、Agencyは育たない。いくら学習指導要領に「Agencyらしい文言」が書かれていても!


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