Agencyについて(続き)


 どうもうまく理解されないようだ。Agencyとは、「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく力」なのであるが、日本では、学習指導要領に「学校の教育活動を進めるに当たっては、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力」と記載されている。また、教育基本法や学校教育法にも「社会に寄与する」という趣旨の文言が記載されており、これをもってAgencyの概念が日本の教育にもしっかりと裏打ちされているという指摘がある。果たしてそうだろうかと思う。

 「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく力」と「主体的に対応する力」「社会に寄与する力」とは、明らかに違うのではないか。前者は明確に能動的な言葉で書かれているが、後者は能動性を感じない。「何かに対応する」「何かに寄与する」のであって、「何か」がすでにあるのである。ところが、Agencyとは、その「何か」を産み出す力なのである。このことを日本の学者は理解していないのではないか。特に文科省に連なる学者は、このAgencyを道徳教育の範囲で捉えようとする。それでいいのだろうか。経産省が中心となって提言した「50㎝革命」という概念の方が、余程OECDが提唱するAgencyに近いと思う。経産省は、日本の経済や国際経済を対象とする省庁であり、その捉え方もダイナミックであるとともに、世の中の動きにも機敏に反応する。経産省が進める「未来の教室」やEdtechについても、教育と産業を結び付け、「教育を企業の金もうけにしようとしている」と批判する人もいるが、その内容は学校に大きなインパクトを与えるモノと感じる。

 さて、このAgencyという概念、日本に根づくのだろうか?今の日本に最も必要な概念と思うのだが・・・。


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