学者にはわからないか・・・

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 学者にはわからないのではないかと思い出した。何がか。Agencyである。OECDがAgencyを提唱して何年になるのだろう。外国の教育概念が提唱されるとすぐに飛びつきたくなる日本の教育学者たちの中で、真剣にAgencyを提唱しているのは誰だろうと思いだした。文部科学省からOECDに派遣されていた白井氏ぐらいではないだろうか。STEAM教育には飛びつくのに、Agencyには飛びつかない。それが日本の教育なのだと思いだした。

 そもそもAgencyとは何か。白井氏に言わせると、「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく力」なのである。国際情勢を見てみても、国内情勢を見てみても、そして地球環境を考えてみても、これほど大事な概念は考えられないのではないか。Agencyを体現しているロールモデルとして、誰かを上げるとすれば、私はグレタ・トゥンベリさんとマララ・ユスフザイさんを上げたい。両者とも今ではとても有名な人となったが、彼女らが活動を始めたときは、誰でもがそうであるように無名なのである。グレタさんについて、面白いエピソードがある。

 2018年後半に、学校での気候変動のデモとスピーチを開始した。彼女が授業を欠席することについて、教師たちの中で見解が分かれている中、「人々は私がやっていることは良いと思っているが、教師はやめるべきだと言う」と彼女は語っている。

 これはWikipediaに書かれている彼女のエピソードだ。このことこそが、Agencyが教育の中で広まらない一つの答えになると思う。教師というのは、やはり管理する側の人間なのだ。管理する側の人間に、「社会変革の力」は備わっていない。また、学者も狭い自分の領域の中で研究を重ね、世の中を変革するという経験をした人は、どれだけいるだろうと思う。少なくとも文科省に連なる学者の中には、見当たらない。Agencyという言葉が出る前に、私は「一歩踏み出す力」とか「50㎝革命」という言葉を使っていた。いずれもが経産省から生み出された言葉である。教育に携わる学者は、世の中を動かしたことが無い人がほとんどではないかと思う。
 
 教師になろうと10代のころから考えていたが、60歳を過ぎて思う。進むべき道を間違えたな…と。教育という世界では、「社会変革を実現しよう」とすれば、それは異端でしかない。思い返せば、いつも異端だったなと・・・・まあ、いつも自分の「旗」を立てて生きてきて、自分の信じる道を歩んできたことに後悔はないが・・・。違う人生もあったのではないかと思う。


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