「育つ・育てる」の真逆の学校


 読売新聞の教育ルネサンス、「先生」シリーズも今日で最後だった。今回は、再任用教員が若手教員の授業力を育てる事例が掲載されていた。必要なことだし、良い事例だと思う。その記事の中で、再任用のベテラン教員が「授業を楽しんでいる?」と2年目の教員に尋ねると、その教員はうつむいて「楽しむ余裕なんてありません」と答えたという。このシリーズ、最後まで教員の勤務実態には触れなかった。これで良いのかと思う。

 そんなことを思いながら、新聞を読み進めていると、奈良市立の小学校のいじめ事案の記事が掲載されていた。マスコミでも大きく取り上げられた「花丸事件」である。いじめの悩みを訴え、死をも考えた生徒の作文に花丸をつけ、挙句の果てに「You can do it !」とコメントした教師である。「馬鹿か、こいつは!」と思う。この教師のやるべきことは、まずは上司や学年主任に報告することであろう。いじめに対する対応が何もわかっていない。教えてもらっていないのか、全然育っていない。
 しかし、それも仕方ない。親がいじめの調査を学校に依頼したら、校長ら学校側が「学校は警察ではない」と調査を拒否したというのである。こんなバカな管理職の下では、教師も育つはずがない。学校現場の劣化は著しい。確かに学校は警察ではない。だから、教育的配慮も必要であろう。しかし、いじめ防止対策基本法には、いじめに対して次のように対処することが法律で決まっているのである。

2 学校は、前項の規定による通報を受けたときその他当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずるとともに、その結果を当該学校の設置者に報告するものとする。(第23条第2項)

明確に、「いじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずる」と記載されているのだ。このような、「育っていない教師」「育てていない学校」の事例が、最近目に見えて多くないか。なぜ、このような発想になるのか、花丸を付けた教師の意識形成、調査を拒否した校長の意識形成を徹底的に取材し、反面教師としてほしいと思う。


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