便りのないのは良い知らせ

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 9月3日の教育新聞に、「教員へのハラスメント防ぐため、保護者にヒアリング 都の有識者会議」という記事が掲載されていた。「学校と家庭・地域とのより良好な関係づくりに係る有識者会議」の第3回会議である。今回は、都内の小中高校、特別支援学校に子どもを通わせる保護者へのヒアリングを実施した。

 この会議で以下のような意見が寄せられたという。
★コロナ禍以降、PTA行事や学校行事の削減・縮小によって、保護者同士や保護者と学校との関係が希薄になった
★グループLINEなどでのうわさ話が、学校への問い合わせにつながっているケースも聞く
★一部の教員のコミュニケーション能力に課題を感じる。そうしたことが信頼関係をなくし、クレームにつながっているのではないか
★学校の様子など、もっと情報がほしい
★情報があれば保護者も安心できるし、学校との関係も良くなる

教員のコミュニケーション能力に関する意見以外は、保護者がもっと学校の事を知りたいという事なのだろう。わが子が心配で、「わが子の全てを知りたい」という思いがあるのだろうと思う。委員からは「もっと情報が欲しいという保護者の要望は理解でき、コミュニケーションを増やしていく必要がある。ただ、教員の負担増にならないよう、デジタルの活用なども含めて検討していくべきだ」との意見が出たとあるが、これでは、教員の負担は減るどころか、増える方向になるだろう。

以下は、今となっては言っても仕方がないことだ。というのも、このような保護者の想いも、その元をたどれば少子化に原因を求めることができる。一人っ子、多くても二人兄弟姉妹を持つ保護者は、知らず知らずのうちに過保護になる。私の親の世代は、4人・5人・6人と多人数の兄弟姉妹の時代だ。親は、自分の仕事にも忙しく、また一人一人の子どもにかける時間も限られる。私の祖父母の時代では、「子供が学校に行っていれば安心。学校から何も言われなければ、それで安心」というものだ。「便りのないのは、良い知らせ」という感じである。学校が終われば、塾に行くこともなく、近所の子どもたちと遊んでいた。子どもは子どもら自然と社会のルールを身に着けて成長していったのだ。
私は二人兄弟だが、私の親も祖父母の世代と同じように子育てをしていたように思う。人様の迷惑になるようなことしたらこっぴどく叱られたが、今の親のようにあれをしろ、これをしろと言われなかった。過保護でも過干渉でもないのである。子どもたちの社会では、小さい子を守るためのルールもあった。「ごまめ」というルールだ。缶蹴りというかくれんぼのゲームで、小さい子が鬼になったら、みんな見つかりやすいように配慮してやっていた。そういうことが、自然と身につく世界が地域社会にあった。

この東京都教育委員会のヒアリングの内容を読んでいたら、暗澹たる気持ちになる。これでは、保護者からクレームめいた問い合わせもなくならないよなと思うのだ。確かに、コミュニケーションに難がある教師もいるだろう。だからといって、全ての教師が、民間企業のカスタマー担当のような対応ができるわけではない。それも教師の個性として受け入れる余裕が、保護者サイドに欠けているのだろう。保護者が求める教師像を教師に求めすぎるところから、学校と保護者との間に齟齬が生まれるようにも思う。

以上の事は、言っても仕方がない。事実、そういう保護者を相手に仕事をしなければならないのが、今の学校というものなのだから。しかし、世間もちょっとは今の保護者のおかしさを理解してほしいと思って、書いてみた。


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