不登校 特例制度

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 5月3日の読売新聞の解説欄に、「不登校 学習指導を柔軟化」という見出しで、4月に開かれた中教審の特別部会での不登校の特例制度についての記事が出ていた。特例制度を設けることで、児童生徒の状態に応じて授業時間数を削減したり、下の学年の内容を教えたりするなどカリキュラムを柔軟に編成するようにするらしい。確かに、不登校生徒に通常の学習指導要領の内容を教えようとしても、過去の学習の積み上げが不十分だと、年齢相当の学年の内容を教えようとしてもなかなか難しいのだ。

 要は、不登校の生徒の学習の抜け落ちは、千差万別で個別指導でないと難しいということなのだ。このことは、記事にも書かれている。となると、そのような個別指導計画を作成するのは誰かという問題になるのだ。当然教師ということになるが、発達障がい系の生徒の個別指導計画を作成するのも大変であることがわかっているし、専門的な知識も必要である。不登校生徒の個別指導計画を作成するのも、それなりの知識と経験がいる。教員の負担は半端ないだろう。別途人員が必要なのは、明らかだ。

 更に、記事にも書かれているように評価をどうするのかという問題だ。これは最大の問題である。高校入試の内申点はどうなるのか。違うカリキュラムで学んだ生徒を、同じ土俵で評価することができるのかということだ。通常のカリキュラムで学んだ生徒の「5」と個別カリキュラムで学んだ生徒の「5」は、明らかに違う。しかし、内申点の「5」という取り扱いをするならば、同じ5なのだ。これは、入試という同じ土俵上では、とてつもなく不平等な扱いになり、「不登校生徒の方が入試に有利」という事態を生みかねない。それでは、不登校問題の解決に至らない。解決するのなら、抜本的に高校入試の制度を改革しなければならない。つまり、内申点を合否の判断材料に入れないということだ。

 これは、暴論に聞こえるように思うだろうが、現在の「学力の3要素」、つまり「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう人間性」という観点から果たして内申点が妥当なのかという議論にも結び付く。学校の状況により差が出る内申点よりも、面接(個人や集団)やプレゼンテーションなどを判断材料として学力試験に加味するほうが、生徒一人一人の能力や資質を判断しやすいし、こういう入試なら不登校生徒もそうでない生徒も同じ土俵で入試を行えるように思う。ただ、どうすればできるかという技術的な面はあるのだが。

 とにかく、これほど不登校生徒が増えていると、何らかの抜本的な改革が必要になるのは確かだ。もしかしたら、学年制を重視し、クラスでの生活で人間性を育てるという日本の教育の根本から見直さなければならないのかもしれない。


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