2023年7月8日は、偶然にも民主主義の日になった!


 2023年7月8日は、偶然にも民主主義の日になった。何のことか。ひとつは、安部元総理の1周忌の日であり、もうひとつはロシアのウクライナ侵攻500日の日である。偶然にも全く関係ない二つの大きな事件が、民主主義という概念で繋がった。
 まずは、安部元総理の1周忌からである。ご存じのように、安部元総理は、統一教会に恨みをもつ人物の凶弾により、亡くなられた。この事件をきっかけに、政党(主に自民党)と統一教会の密接な関係が浮き彫りになったこと、そして宗教二世の窮状がクローズアップされたことを受け、犯人に対する同情、そして英雄視する世論が生まれている。私はそんな英雄視することなど全く思いも寄らなかったので、この世間の動きに「おいおい、大丈夫か、日本は!」と思う。そこで、この問題を私なりに整理してみたい。
 まず、事実として、次の三つがある。
①統一教会に多額の献金を行う日本人が少なからずおり、その額は自らの生活を破綻に追い込むほどの額になることがあること
②よって、親の常識を外れた「献金」故に、その子どもたちは窮状に追いやられること。
③統一教会は、自らの目的や勢力を伸ばすために、反共的政治勢力としての自民党保守派を中心に関係を強化してきたこと。また、政治家もそれを是認してきたこと
である。この問題を解決するために、犯人は安部元総理を殺害することを選んだのである。簡単に言えば、テロを起こしたわけだ。その結果、①~③の問題が解決の方向に向かい英雄視されるわけだが、果たして、手段としてテロを用いたことの是非を、英雄視する人は考えたのだろうか?あの幕末でさえ、天誅と叫んで殺害を行った志士たちは、何もなすことができなかった。ましてや、今は法治国家である。法に基づいた手段は必ずあったはずだ。それが、まっとうな解決策である。なぜ、英雄視するのか。どうもこの動きのほうが危なっかしい。一言では片づけられないが、閉塞感というものがあるのではないかと思う。物価の上昇、実質賃金の低下、税金の負担感。海外なら、どれか一つでも広範囲のデモや暴動が発生してもおかしくない事案が、日本に山積しているのである。この先行きの見えない閉塞感を背景に、宗教二世への同情が重なり、その突破口を開いた犯人を英雄視するのではないだろうか。
 もう一つ、あえて指摘すれば、宗教と政治の問題もクローズアップされたのであるが、この点については、どうもサンクチュアリの様相を呈している。

 ロシアがウクライナに侵攻して500日。最初は、3日でキーウを陥落させるとしたロシアの戦略からして、この侵略は失敗と言えるだろう。もし、この戦争にロシアが勝利するようなことがあれば、専制主義国家は、西側の民主主義や法の支配、力による現状変更を許さない姿勢などに、聞く耳を持たなくなるだろう。世界のいたるところで、力による現状変更を求める動きが活発になるに違いない。中東のパレスチナ問題、中国の台湾問題、アフリカ諸国の内紛、インドと中国、そしてパキスタンを加えた領土問題、そして、日本では中国、韓国、ロシアとの領土問題もさらに深刻化する。歴史上、多くの血を流して勝ち取ってきた民主主義という制度を葬り去ってはいけないのである。絶対にウクライナ戦争に勝利しなければならない。力で他国を侵略する者には、そのことによる多大な代償が待っていることを、世界は知らなければならないのである。
 前にエストニアのカラス首相のインタビューについて、このブログで触れた。その後、アメリカの歴史学者ハーバード大のセルヒー・ブロヒーの話をニュースで見た。ロシアは謝った歴史観を持っているというのである。この歴史観は、プーチンが今回の侵攻の理論的下敷きにしたものである。つまり、ロシア・ベラルーシ・ウクライナは一つの国であるという歴史観である。その歴史観を表しているのが、下の絵である。ロシアが長女で、十字架と剣を持ち、ベラルーシとウクライナの妹が付き従うという構図である。

 同じスラブ民族であるの確かだろう。よく似た言葉や文化、宗教、生活習慣を持つのもそうだろう。しかし、歴史的に見て、この3つの国は違う国なのである。ロシアの歴史観は、ソ連時代、もっと遡ればロシア帝国の時代から変わっていないと言えるのだ。この教授は、歴史学の分野でもゆがめられた認識と戦わなければならないと述べていた。これは、日本と韓国・中国という関係でも同じだろう。歴史を自らの主張に都合の良いように改ざんすることは、日本でも行われてきた。「神国日本」という戦前のキャッチフレーズである。生成AIが普及するにつれて、益々フェイクニュースは増加する。真実を見抜く能力と資質を身につけなければならない。


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