1968年と1989年

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 1月29日のNHK、「映像の世紀バタフライエフェクト」で、「世界が揺れた2つの年 1968と1989」が放映された。なかなか面白かった。まずは、1968年に全世界で学生運動が盛り上がった。アメリカが行うベトナム戦争に反対の声をあげ、多くの国で学生が立ち上がった。平和と民主主義、自由を求める戦いだった。この放映で初めて知ったのだが、東側諸国でも同じように学生が立ち上がったのだ。言われてみれば、プラハの春は1968年だった。東ドイツでも同じように学生が立ち上がったが、当時の東ドイツの共産党政権は、学生運動を弾圧する側に回った。学生運動のリーダーを銃で狙撃するという事件まで起こっている。この事件を詩にして歌ったのがビーアマンという詩人ということも初めて知った。その義理の娘がニア・ハーゲンということも。この1968年に起こった学生運動が、1989年の東側諸国の「地殻変動」に結び付いているというのが、この番組のテーマだ。
 1986年、東側諸国の政権は、学生運動が労働者に飛び火することを避けるために、両者の間に対立と分断を持ち込んだ。ポーランドでも同じことが起こった。しかし、当時電気工だったワレサは違った。学生の話を聞いたのである。そのワレサが自主組合である“連帯”を結成し、ポーランドの民主化を推し進めるのだ。この動きは、他の東側諸国に飛び火し、鉄のカーテンの鉄条網は撤去され、ベルリンの壁は壊される。1968年の学生運動の精神は、死んでいなかったのだ。20年余りを経て、世界を動かす。

 さて、日本はどうだろう。1968年の学生運動は、敗北に終わった。その後、連合赤軍などの過激派グループによるテロや内ゲバが発生した。当時の学生たちが訴えた大学改革もどの程度進んだのかと思う。例えば、学園紛争で象徴的なのが、東大紛争と日大紛争だ。今も日大の大学経営で様々な問題が発生している。このことを思うと、結局はあの当時のマスプロ教育を批判した学生の意見は無視され、経営体質は変わっていないのだと思わざるを得ない。日本では、1968年の学生運動のレガシーは、1989年に結び付かなかったのではないか。1970年代から1980年代にかけて、若者の中には三無主義が蔓延った。その流れは、政治への無関心に結びつき、未だに低投票率となっている。欧米と日本、一体何が違ったのだろうと思う。

 これはあくまでも何の根拠もない私論だが、やはり民主主義の伝統が違うのだろうと思う。特に日本では、ブルジョア革命が不徹底だった。明治維新は、ブルジョア的な性格を帯びつつも、帝国主義列強からの侵略を防ぐために、国家資本主義的様相を呈さざるを得なかった。そのため、不徹底なブルジョア革命にならざるを得なかった。そして、敗戦である。進駐軍であるアメリカから民主主義が「外」から持ち込まれた。欧米のように、自由と民主主義を自ら手で獲得する闘争を、日本の歴史は経ていないのである。この民主主義の伝統の不徹底さが、未だに日本の底流にどす黒く流れているように思えてならない。


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