高校無償化の副産物


 2月2日の読売新聞の政治面に、日本維新の会が提案する高校無償化に関する記事が掲載されていた。記事の内容に新味性はなく、要は「落としどころをどうするか」という問題提起をしたかったようである。「落としどころ」というのは、所得制限を設定するかどうか、設定するなら何万円とするかという問題だ。新聞の政治面であるから国会での予算攻防を踏まえて、ある意味仕方のない内容であると思われるが、この高校無償化については、とんでもない副産物があるということについて、あまり大きく取り上げられない。つまり、私立高校への受験生の集中、公立高校の定員割れという問題である。

 高校無償化については、大阪府は先行自治体である。大阪維新の会の政策により高校無償化がいち早く行われていた。私が校長をしていた時は、まだ所得制限が設けられていて、私立高校への受験生の集中の流れもあったが、各公立高校の懸命の努力で、何とか生徒獲得競争に勝ち抜こうという流れがあった。しかしながら、中学生の数自体が減小していくなかで、大阪府で私立高校への所得制限が撤廃され、公立高校も私立高校も授業料の面でフラットな関係になってしまってからは、校長のリーダーシップや各校の努力で私立高校への集中の流れに抗するような問題ではなくなっている。24年度入試で半数近くの府立高校が定員割れを起こしたことは、何回も繰り返し述べた。公立高校の地盤沈下は止まらないのだ。

 併せて、大阪府では大阪維新の会が主導した教育基本条例により、3年連続定員割れした高校は再編対象となり、ほぼ廃校に追い込まれる。つい最近、私が勤める通信制高校に転学にきた生徒の対応をした時、こんな話が出た。その生徒は、ある公立高校に通っていたのだが、自転車通学に時間がかかり、高校から足が遠のき、とうとう通学できなくなってしまったというのだ。保護者の方は、「昔は近隣に公立高校がたくさんあったのに、通える高校が減りましたよね」とこぼされていた。そうなのだ。大阪府ではどんどん公立高校がつぶれている。行きつく先は、戦前からある高校のみ、戦後の新設高校は軒並み潰れるという姿ではないだろうか。そして、一部の少数公立高校だけが生き残り、その他は有象無象の私立高校という状況になることが予想される。府の財政にとっては公立高校がなくなり、公立高校の教職員が削減される方が良いかもしれないが、高校教育はどうなるのかということだ。

 例えば、大阪府の教育で大事にしている多様性について。大阪府は人権教育に力を入れてきた。障がいがある生徒の高校進学についても「知的障がい生徒自立支援コース」が府独自に設定されている。とかく進学や部活動に力を入れる私立高校が多数になれば、このような多様性のある高校教育はどのようになるのだろうか。

 高校無償化の問題は、単に落としどころをどうするかという問題ではない。高校無償化から生まれる副産物に対して、どのように対処するのかということが大きな問題なのだ。この問題を解決するためには、公立高校と(半公立高校化した)私立高校の同じ土俵での生徒獲得競争が重要であると考えている。つまり同日入試の実施である。そうすることで、地域住民から支持される高校が、公私を問わず生き残っていくのだ。

 メディアもこの副産物について特集を組むくらい大きく取り上げてほしい。


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