高校無償化が教育の質の向上になるために


 自公維の合意により、高校無償化が実現することになりそうだ。併せて2025年度予算の年内成立の目途もつきそうである。ただ、政治の世界は一寸先が闇。何が起こるかわからないのがこの世界だ。2月22日の読売新聞の主張に高校無償化にあわせて「教育効果の議論が欠けている」という主張が掲載された。主張には
「そもそも教育の向上のためというのであれば、所得水準の高い家庭も含めて無償化することが、なぜ生徒の学ぶ意欲を高め、人間性豊かな人材を育てることに役立つのか、といった本質的な論戦を行うのが国会の役割のはずだ」
と書かれている。的を得た意見である。そこで、今回は、今後必要な議論を整理してみたい。

 教育の質を高めるには、大阪府で言われている「公私における切磋琢磨」をどのように進めるかということが根本だ。公立高校と私立高校が互いに切磋琢磨することで、高校教育の質を高めようという政策である。そのための最初の施策が、私立高校の無償化なのである。ところが、これを行った大阪府で公立高校の約半数が定員割れを起こすという事態が発生した。これが、私立高校の無償化の大きな副作用である。大阪府も大阪維新の会も、この副作用について何ら対策を打とうとしていない。このブログで何回も紹介したように、大阪府では公立高校は「3年連続定員割れをすれば、再編対象」となるのである。ここ何年間で多くの公立高校が消滅するという危機に瀕している。
 なぜこういうことが起こるか。まずは制度面で言えば、私立高校の受験が先行して実施されるためである。公立も私立も授業料無償ならば、私立高校を受験して、進学先を先に決めてしまいたいという受験生と保護者の気持ちが、私立高校の専願率を高めているのだ。今後、少子化が加速度的に進む中で、高校の生き残りが模索されていく。すでに、大阪府の公立高校では「3年連続定員割れ」という枠がはめられているのである。私立高校に有利な条件で生徒獲得競争を強いられているのだ。この不平等を第一に解消しなければならない。私は、一貫して公私同日入試を主張している。資金面で公私が同じ土俵になるならば、入試面でも同じ土俵にすべきだろう。もし私立高校が同日入試を嫌うなら、別日入試を実施すればよい。ただし、その場合は、無償化施策から離れてもらうのだ。授業料を有償してでも人が集まる自信があれば、別日入試をすればよい。

 第二は、大学の私学助成と同様に、私立高校の無償助成を行う基準を明確にすることである。私立高校もピンキリである。経営に問題があったり、体罰やいじめが横行している高校も存在する。そんな質の低い教育しか行われていない私立高校に税金を投入するのは、無駄である。さっさと教育界から退場してもらうのが良い。

 第三に、公立高校への支援を充実させることである。明らかに公立高校の教育環境と私立高校の教育環境には差がある。自民党は、「専門高校に人が来なくなる」というが、この主張は普通科高校の教育は私学中心で良いと言っているようなものだ。公立高校全般にもっと金を投入すべきだろう。

 今後は、本質的な議論を行うために、公立高校と私立高校の在り方の議論を行わなくてはならない。まずは、中教審で議論を行うべきだろう。その上で、文科省で政策化・法案化を行い、国会で侃々諤々も議論を行ってほしいと思う。

 高校教育の在り方は、この無償化がスタートラインなのである。


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