韓国と日本の国民気質

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 韓国の尹大統領が罷免された。おそらくそうなるだろうと思っていた。尹大統領が行った戒厳令施行という離れ業は、あまりにも政治的に稚拙だからだ。もう少し違う手があったのではないかと思う。しかし、彼がこのような手段に訴えたのも、その心情は理解できる。韓国の総選挙で与党が大敗し、野党が大勝利をおさめた結果、尹大統領の政権に対して、ほとんど何もできないまでに野党が追い込んだからだ。これでは、政権が自壊するのを座して待つしかない。そこでの乾坤一擲が今回の戒厳令発布だったのだが、やはりうまくいかなかった。

 ところで、今回の尹大統領の罷免を受けて、韓国は大きく分断されている。罷免支持派と不支持派だ。双方とも大規模な集会を行い、気勢を上げている。BSニュースを見ていると、ジャーナリストが面白いことを言っていた。この支持派と不支持派は、もう話しさえできない状況らしい。折り合うことが不可能なほど分断が進んでいるというのだ。そこで、昔話として、韓国のジャーナリストと話した時の話題が出た。韓国からみると、「日本の国対政治が羨ましい」というのだそうだ。なぜなら、「自民党と社会党という保守と革新でさえ、話し合いで妥協点を見出しているではないか」というのだ。日本のジャーナリストから見ると、この国対政治は、政党の馴れ合いに映り、良い印象は無い。しかし、あまりにも分断が激しい韓国から見ると、良い面を見出すというのだから、面白い。
 この話をしたジャーナリストは、なぜ韓国でここまで分断が進むのかという点について、「それは、韓国が儒教社会だからだ」と言った。儒教、特に朱子学は、正義と悪を激烈に分ける。己が正義と思えば相手は悪なのだ。これでは、話し合いが成立することは無い。相手の存在が無くなるまで「正義」と「正義」の戦いは続いてしまうのだ。昔は、それは本当に相手の存在を無くしてしまうまでの殺し合いになっただろうが、民主主義の世の中の今では、延々とお互いを否定する運動となってしまう。

 さて、日本である。韓国から見れば、良いのか悪いのかわからないが、保守と革新が同じテーブルについて話ができる気質を持っている。それはなぜか。日本人は自覚しているかどうかわからないが、それは「和をもって貴しとなす」聖徳太子の思想が根づいているからだ。これが、韓国の儒教に変わる日本人のなかにある「日本教」なのだ。話し合いをすればよい結論が得られるではないか、とにかく同じテーブルについて話をしよう、そうすれば自ずと和が生まれる、という考え方だ。だから、自民党と社会党も保革対立の中でも同じテーブルについて話をする。これは、現在でも自公維であったり、自公国であったりする政党間の話し合いが頻繁に行われていることにも通じる。

 ところで、トランプ相互関税である。この問題に対して儒教国中国は、早速報復関税を行うことを表明した。キリスト教国のEUも報復の方向で検討を進めている。トランプ相互関税が悪であると考えれば、それを認めるわけにはいかないという姿勢だ。ところが、日本政府はどうか。「日本の相互関税を取り下げてもらうために、まずは話し合いを・・・」という姿勢なのだ。これではダメだ。「和をもって貴しとなす」は日本の中だけで通じる日本教なのだ。世界は、もっと厳しい局面で外交交渉をしている。

韓国から良いように見える日本教も、いざ国益を守る場面では負の作用の方が大きいようだ。


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