関西熱視線ーインクルーシブ教育


 7月7日に、七夕の日の夜は、荒れ模様の天気だった。家に帰って食事を済ませ、テレビを見ていると、7時のニュースの後に「関西熱視線」が報道された。今回のテーマは大阪のインクルーシブ教育の紹介である。あとで調べてみると、この放送の初回は5月23日であることが分かった。見逃していたのである。NHKは、長年続く大阪の豊中市のインクルーシブ教育を紹介していた。
 先に言っておこう。豊中市に限らず、大阪府及び大阪府の各自治体では、濃淡はあるにしてもかなり前から障がい者と「共に学び、共に育つ」という取り組みをしてきた。私が新任で赴任した大阪府立八尾北高校にも、小中と自閉症の生徒と一緒に育ってきた生徒たちがいた。当時の府立高校の全日制では、知的障がいのある生徒と共に学ぶ制度が無く、交流生という位置づけで何度か共に学ぶ機会があったが、現在の「知的障がいのための自立支援コース」は無く、限られた内容の交流であった。それでも、小中の義務教育では、特別支援学級で学ぶ生徒たちの多くは、通常学級で一緒に学んでいた。こういう取り組みが、「インクルーシブ教育」と呼ばれるようになったのは、2000年前後ではないか認識している。
 なぜ、NHKがこのような大阪のインクルーシブ教育をテーマに報道したか。それは、令和4年4月27日に初等中等局長名で出された「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)」が発端となっている。この通知文で、文科省は、インクルーシブ教育の意義を認めつつも、

「しかしながら、文部科学省が令和3年度に一部の自治体を対象に実施した調査において、特別支援学級に在籍する児童生徒が、大半の時間を交流及び共同学習として通常の学級で学び、特別支援学級において障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じた指導を十分に受けていない事例があることが明らかとなりました。」

と述べ、

「加えて、同調査においては、一部の自治体において、・ 特別支援学級において特別の教育課程を編成しているにもかかわらず、自立活動の時間が設けられていない
・ 個々の児童生徒の状況を踏まえずに、特別支援学級では自立活動に加えて算数(数学)や国語の指導のみを行い、それ以外は通常の学級で学ぶといった、機械的かつ画一的な教育課程の編成が行われている
・ 『自校通級』、『他校通級』、『巡回指導』といった実施形態がある中で、通級による指導が十分に活用できていない
といった事例も散見されました。」

と具体的な事例を挙げている。そのうえで、

「言い換えれば、特別支援学級に在籍している児童生徒については、原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において児童生徒の一人一人の障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じた授業を行うこと。」

と、通常学級を基本とするのではなく、特別支援学級での活動を基本とし、「週の半分以上を支援学級で過ごす」こととしたのである。「一部自治体」がどこを指すのかは明言されていないが、この内容は明らかにインクルーシブ教育という言葉が認知される前から「共に育ち共に学ぶ」という教育を行ってきた大阪の支援教育を真っ向から否定するものである。この通知には、後に国連も撤回を要求することになる。それほど世界的なインクルーシブ教育の流れに反する内容なのである。

 この問題を整理するにあたり、特別支援教育には、大まかに言って二つの流れがあることを紹介したい。誤解を恐れずわかりやすく述べることをご容赦願いたい。一つの流れは、障がい者の能力を伸ばし、社会に適応できるように個々の応じた適応能力を伸ばそうという流れである。この流れからは、自然と「自立活動」や職業訓練といった教育内容が重視されることになる。もう一つは、障がいが障がいになるのは、社会が障がいを受け入れられていないからで、障がいも個性として受け入れ、多様性を認めようという流れである。この二つの側面は、共に重要である。問題はどちらの立場に立って支援教育を進めるかである。明らかに、文科省は前者であり、大阪府は後者である。紹介された豊中市のある小学校の児童たちは、障がいのある児童と一緒に学び、育つことによって、普通のクラスメート、普通の友人として受け入れている。そこには、障がいがあるとかないとかの「壁」はない。これが、理想の状態ではないだろうか。当然、障がいの程度により、社会で適合できるような自立活動は必要である。買い物の仕方、電車の乗り方などは必要だろう。しかし、サポートが必要な時に、どのようにすればよいか。助けを求めるときにどうすれば良いか。それは、支援学級の中で「頭で学ぶこと」ではないだろう。小さいころから「共に学び、共に育って」こそ、互いに学ぶことではないだろうか。私たちは、地域で職場で障がいがある人たちと「共に生活」している。そこには、「支援学級」や「支援学校」などの隔離されたものは無い。元々我々の世界はインクルーシブなのだ。だが、過去はインクルーシブになっていなかった。我々の社会が、いわゆる健常者中心の社会で、意識するしないに関わらず、障がい者を受け入れていなかったからだ。真に、障がいがある人たちが、その障がいがあるままの姿で街に出るようになってから、どれくらいの月日だろう。まだまだ日は浅い。インクルーシブな社会は道半ばなのである。それならば、どの立場に立って、支援教育を進めていくべきか、明確ではないかと思うのだが。文科省のこの通知文には、疑問しかなく、NHKも批判的な姿勢で報道されていた。

 少し長くなってしまった。まだまだ書きたいことはある。大阪府で私が直に経験してきた二つの支援教育の制度についてである。またの機会にしたい。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP