過酷な教職に悩む方へ

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 2月19日の読売新聞「人生案内」に、小学校教諭の方の相談が寄せられていた。
「大学在学中は学業に加え、留学、ボランティア、アルバイトなど、忙しく過ごしましたが、教育の現場は想像以上に過酷でした。保護者対応、放課後対応、不登校や特別支援教育への対応、体がいくつあっても足りません。超過勤務は当たり前で、このような働き方では、今後の結婚、出産など自分のライフステージを進めていくイメージが持てません」
というものだ。

 この相談の内容は、今の教育現場の問題をそのまま映し出したようである。まさに、保護者対応や教育の多様化で、教職の仕事はオーバーワークになっている。私は、20代半ばで結婚し、夫婦ともに教職の共働きだった。結婚生活・子どもの誕生、そして新任での社会人という3つの人生の変革が同時に来たような状況だった。子どもは、私が保育所に連れて行って、迎えに行っていた。相方は中学校の教師、私は高校の教師だったが、大概は私の方が早く帰っていた。6時に保育所に迎えに行こうと思ったら、5時半に仕事を終えなければならなかった。「イクメン」などという言葉の影も形も無い時代、文化祭や体育祭などの行事の前でも早く帰らなければならない状況は、生徒からも「先生、帰るの早いね」と言われたものだ。辛かった。しかし、6時を少しでも回って迎えに行くと、子どもが疲れた表情で、指をくわえて待っている。そんな姿を見ると、「今は子育てに集中するとき、100%の仕事をするのは諦めよう」と心に決めた。なぜなら、確かに担任は私しかいないが、生徒たちにとっては学校に多くの教師がいて組織的な対応ができるが、子どもにとっての父親は私一人しかいないのだ。そんな職場の理解があったのは、今から思えばとても幸せだったと思う。

 相談を寄せている先生は、まだ3年目。日々新しい出来事や新しい仕事に出会っている頃だろう。とにかく全力の毎日だと推察する。知らず知らずのうちに、毎日100%以上の力を出して働いているのだろう。だが、5年、10年と教職をしていると、経験が財産になってくる。世間的には「要領を覚える」とか「ツボがわかる」と言われるような状況になる。そうすれば、どこで力を抜くか、または入れるかという事も見えてくるのも確かだ。それでも、あまりにも自分の人生を犠牲にしていると思えば、転職するのも選択肢である。教職を離れるのはあなたのせいではない。負い目を感じることは一切ない。

 この先生の悩みを解決するために、果たして教職調整額のアップは効果があるだろうか。答えは否である。給料のアップではなく時間の余裕が欲しいのだ。それには、学級担任をしていても休むことが可能なほど、学校の人員に余裕を持たせること、様々な教育の問題、保護者対応、いじめや不登校、特別支援教育、福祉支援などにその道のスペシャリストを配置することだ。そして、超過勤務に正当な残業手当を支給することだろう。日本の先生たちは、時間も金銭も人生さえも収奪されているのだ。明らかに文科省の働き方改革の方向性は現場との乖離がある。

 念願の教職に就いたにも関わらず、こんな悩みを抱えさせる日本の教育行政こそが一番の問題で、文科省の官僚こそもっと悩めと言いたい。


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