通知表の是非

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 12月19日の読売新聞の「The 論点」で通知表の是非について掲載されていた。通知表を廃止するかどうかが議論されていたが、読んでいて思うことは、どうも議論が薄っぺらいように思うということだ。もう一度、通知表の持つ機能を明確にしたうえで、「通知表」というものを存続させるかどうか、議論をすることが必要だろう。

 通知表の機能としては、
①ある一定の期間(通常は学期に該当する)の児童・生徒の学習活動への評価を行い、
②児童・生徒には、自分の学習の位置を知らしめ、
③保護者にも自分の子どもの学習活動が如何なる状態になっているかを知らしめる
ものである。
 存続派は、この①~③の意義から通知表の意義を訴える。廃止派は、現行の通知表では、この意義が十分に果たすことができないと主張する。だからといって、「廃止する」というのも私は違うと思う。①~③の目的を果たすことは、十分に必要だからだ。
 低学年に、通知表は必要ないという意見があるが、通知表を渡さなくても指導要録で児童の評価は行っているのだ。これは、校長裁量で決められる通知表とは違い、法律で決められた仕事である。成績評価が低学年で意味を為さないという意見もあるが、それなら指導要録には意味がないのかという事になる。

 要は、①~③の機能が十分に果たせるもの、それを通知表と呼ぼうが、学習記録と呼ぼうがなんでもいいのだが、そういう機能を有するものが必要であることには変わらない。

 最後に残る問題は、教員の通知表作成の労力だ。これも仕事のデジタル化でかなり軽減されている面があると思うが、義務教育段階ではまだまだ教員の負担は大きい。しかし、教員の負担軽減と言って、この通知表作成作業を削っていいのかと思う。教員の働き方改革で「通知表作成を削らなければならない」というならば、それほど学校現場のブラック化は酷いのだと、教員と保護者で働き方改革の推進を求めなければならないだろう。例えば、教員の定数改善、乗ずる数の改善などは国民レベルで改善を求めなければならない。

単に通知表を廃止して、「働き方改革が進みました」という話ではないだろう。


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