京アニ事件の青葉被告に死刑判決が下った。当然と言えば、当然の判決と思う。あまりの大量殺人に極刑以外は考えられないというのが、世の中の意見ではないだろうか。裁判では、青葉被告の責任能力が争点になった。判決文要旨が新聞に掲載されていたので読んでみた。責任能力があるとした裁判官の判断も合理的だと思う。素人にもわかりやすく解説されている。
この事件の裁判は、当初から責任能力が争点となった。確かに、責任能力の有無で量刑が大きく変わる。責任能力が争点になるのも理解できる。しかし、裁判が進行するにつれて、責任能力が十分に備わっていることは明白になりつつあった。なぜ青葉被告のような人間が形成されたのかということの方が重要だ。判決要旨にも精神鑑定の結果が述べられている。
妄想性障害にり患、
独善性、猜疑心が強い、
怒りやすい、攻撃行動をしやすい、
と鑑定されている。青葉被告本人も、2008年に起こった東京・秋葉原無差別殺人事件の影響を受けたと言及している。この事件を起こした犯人について、「底辺の人間ほど余裕がない。自分も何をやってもうまくいかず、人ごとと思えなかった」と話している。キーワードは、「社会からの孤立」だろう。この観点から見ると、トーヨコやグリ下に集まる若者たちは、まさに社会的孤立の入り口にいる。家庭で孤立し、学校で孤立し、社会で孤立して、グリ下に集まってくるのだ。10代の若者にとって、家庭に居場所がないということが、即、グリ下に直結してしまう。グリ下に集まっている限り、社会への復帰はかなり困難だ。NPOでグリ下に集まる若者への支援を行っている弁護士の方もいるが、行政も積極的に関わるべきだろう。窓口で待っていても、グリ下に集まる若者は集まってこないし、電話もかけてこない。積極的に関わるしかないのではと思う。
グリ下のような場所に集まる全国の若者たちは、まさに「社会的孤立」の入り口に立っている。青葉被告の生い立ちは、彼らへの支援の必要性を示唆しているように思う。
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