9月2日の読売新聞27面は、如何にも皮肉な紙面割り付けだ。編集者が意図したものではないだろうが、結果として読者にそのような印象を持たれる結果になったのだと思う。というのも、中教審での議論で「教職課程 科目柔軟に」という記事と、愛知県を中心とした盗撮共有事件について教員4人目の逮捕者が出たという記事だ。どちらも教員の資質に関する内容である。
一方は、教員不足を解決するために大学の教職課程での履修科目を厳選するというものである。要は、教員免許取得のハードルを下げるという事だ。確かに教員免許を取りやすくなるだろうが、果たして教員の質は確保できるのかという問題は残る。
他方、盗撮事件の問題は、社会に大きな衝撃を与え、学校という世界にとんでもない小児性愛の人物が紛れ込んでいることが明らかになった。このような人物にとっては、学校という世界は、まさに垂涎の場所なのである。
学校現場が、このような状況になっている時に、「教員免許のハードルを下げる」という事が果たして良い結果を生むことになるのか。その前に、このような施策が、その目的である教員の採用倍率を向上させることにつながるのかという事は、甚だ心許ない。明らかに、現在の教員採用倍率が低い問題の原因は、学校現場のブラック化の問題であり、民間で進められているワークライフバランスが保障されていないという問題だからである。
何回も言っているように、
❶教職員に労基法を適用すること
❷学校現場の教員を増やすこと
❸SC・SSW・SLなどの専門的人材を学校現場に投じること
が重要である。
現在、各省から概算要求が行われる時期であるが、給特法の改正に併せて、❷と❸は少し改善されるようだが、果たして教職調整額の段階的UPという事がどれだけ採用倍率の向上に繋がるのか、検証をしなければならない。もし、採用倍率が改善しなければ、教員免許の取得のハードルを下げてしまったことによって、問題を起こす人物(例えば、小児性愛の人物)が、学校現場に入り込みやすくなるだけになってしまう。
とにかく、教育に金を投じなければ、この問題は解決しない。
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