3月29日、読売新聞地方版大阪ひと語りに、河内長野市「若者ミライプロジェクト」メンバーの福島 奏さんの事が紹介されていた。福島さんは河内長野市で生まれ育ち、今も暮らしている。大阪市内の高校に通う中で、「地元って安心できる場所だな」と感じ、ここに住み続けたいなと思うようになったという。
ところが、民間有識者でつくる「人口戦略会議」がまとめた報告書で、河内長野市が消滅自治体に分類されたということにびっくりしたという。この調査結果は、彼女の進路選択にも大きな影響をもたらした。食品の栄養の勉強しようと考えていたが、地元が無くなるという衝撃から、政治や政策を学べる大学に進学した。
そんな中、市が「若者ミライプロジェクト」を立ち上げ、メンバーを募集していることを知り、「これはチャンス」と思って応募。河内長野駅前で「河内長野蚤の市」を開催するまでになった。また、西野市長と対談する機会もあり、「将来は市長をめざしたい」と伝えたというから、頼もしい若者だ。
こういう若者が、地元河内長野市に在住しているということを知ってとても頼もしく思う。このブログでも何回も触れているが、とにかく河内長野市は高齢者が多く、若者世代が少ない。河内長野市駅に直結するショッピングモール「ノバティ」でも衣服店を中心に何店も店舗が入れ替わっている。つい最近、私が河内長野に戻ってからもずっと店を開いていた鞄店が完全閉店のチラシをぶら下げていた。何回か買った店であるので、誠に寂しい。何とかしなければと思うのだ。
私は、結婚してから八尾市に住んで子育てをしてきた。子どもが高校を卒業する時に、母親の手伝いをするために実家に戻った。単身赴任のようなものである。この件については、前妻と何回も話をしたが、前妻は頑として首を縦に振らず、私も話し合いに疲れ、別々の道を歩むことにした。河内長野市に帰って思うことは、私が市を離れた30年ほどの間に町は大きく変わったということである。同級生や近所の人とのつながりも無くなるか希薄になり、自分が生まれ育った町とはいえ、違う町に帰ってきた、いや違う、引っ越してきたような感がある。
それでも私は、河内長野市が好きだ。大阪市内へのアクセスも良く、自然も豊かである。かつ最近注目されている南海トラフ地震からも比較的安全な地域と言われている。この町が消滅せず、益々豊かになるように60を過ぎても貢献できれば嬉しいと思い、市の政策に関する会合に参加したり、市のイベントにもできる限り参加している。
福島さんのような若者がどんどん市政に参加してくれれば、未来は明るい。

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