若者が危ない?!

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 土曜日の朝日放送の「正義のミカタ」をいつも録画している。夜に録画を観ると、「グリ下」が特集されていた。番組の編成の慣例からすると尺も長く、結構力を入れた取材となっていた。繁華街に若者がたむろする現象は、東京・大阪だけでなく、名古屋や福岡でも見られるらしい。このテーマの担当は、田村弁護士である。田村氏は、とにかく「グリ下」に足を運び、若者と会話をすることで、彼らへ救いの手を差し伸べている。最近は、小学校の高学年の児童まで「グリ下」にたむろするようになっているらしい。
 田村氏によると、この「グリ下」に集まってくる若者には、発達障がいやLBGTQなどの特性がある若者も多く含まれており、学校や社会の中でいわゆる「少数派」とみなされている若者が多いらしい。レギュラーコメンテイターの京都大学の藤井教授が、「これはフィリピンや東南アジアの諸国でみられたいわゆるストリートチルドレンではないか。広い意味での貧困の表れである」と解説した。田村氏は、その解説を認めつつも、「話を深く聞いていくと、普通の家庭の子どもが多い」という。親の貧困もあるだろうが、若者の「居り場」の問題ではないだろうかと思った。

 日曜日の読売新聞に、「不登校24万人 居場所作り急務」という1面にわたる記事が掲載されていた。今までの不登校の捉え方の変遷を紹介するとともに、「学校に行きづらいと感じたきっかけ」という2020年度のアンケート結果が紹介されていた。読売新聞のデータとは違う切り口で、文科省のデータを見える化したのが、次のグラフである。

 読売新聞が指摘するように、不登校の初期の段階では、学校での友人・先生との関係、勉強に関することと同程度に「きっかけが何か自分でもよくわからない」という回答が目立つ。身体の不調は直接的な要因であるから回答率も高いが、体調不良の訴えは精神的不安定によるものと考えるのが順当だろう。一方、最初のきっかけとは別の理由で学校に行きづらくなる、つまり不登校になってしまった段階での理由は、圧倒的に勉強による要因が高くなる。どういう支援が若者に必要か、少し読売新聞の切り口とは、違った面が見えてくるのではないか。つまり、相談体制も充実させなければならないが、不登校の初期段階で学校を欠席すると、学業への心配が増大し不登校が加速するという点が見えてくるのだ。初期の段階での学力保障、もっと言えば「個別最適化教育」が学校現場に求められる。この問題は、前にブログにも書いたが、欧州とは違って義務教育段階に留年という制度が定着していないため、学力不足が取り返しのつかない段階にまで積み重なって、「中学校の勉強が全然わからない!」ということになる。そのため、不登校の引き金になっている点も見逃してはならないと思う。とすれば、すぐさま留年制度が受け入れられないであろう日本の学校教育では、小学校の低学年段階から「個別最適化教育」を徹底していくしか手はないように思われる。

 さて、話を「グリ下」に戻そう。番組では居場所を求めて、そして共感を求めて「グリ下」に集まる若者に対して、大人が悪の道へ誘うことが指摘されていた。繁華街に集っているだけにこのような危険を伴うのだ。そうすれば、警察も含めた行政は、若者に「『グリ下』に集まるな」という補導ではなく、彼らに忍び寄る大人を取り締まるべきだろう。やり方が間違っている。居場所が無い若者にとって、「グリ下」を取り締まっても、また違う場所に集まるのは、目に見えている。この問題、現在の若者の病理の象徴の問題である。


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