「いじめ第三者委員会」の不完全さ


 2月22日の読売新聞に東海大附属福岡高でのいじめ事案についての報道が掲載されていた。剣道部に所属していた男子生徒(当時2年生)が自死した事案である。同校が設置した第三者委員会がいじめがあったことを認定しながらも、自殺の直接原因は不明と結論付けたことに対して、母親が「不十分」と批判した。第三者委員会は、「多くの事情が相まって自死を選択した」と結論付けている。そのすぐ下の記事にも東京都町田市の小学校で起こったいじめ事案で小学校6年生の女子児童が自死した事案が掲載されていた。この事案でも、「複数のいじめがあったと認定しているが、「原因は複合的」として、自死との因果関係は特定できなかったと結論付けていた。こんなことってあるのだろうか?保護者が第三者委員会の結論に納得せず、不信感を持つのは当然だ。

 例えば、家庭の教育力の問題、保護者の関わり方の問題、学校の関わり方の問題など、要因は様々考えられる。少し、整理したい。いじめ事案が発生したら、学校はそのいじめ事案の事実確認、原因の究明と解決に向けて、全力で取り組まなくてはならない。この点において、学校に不手際があれば、いじめも原因の一因とすると同時に、学校の対応の不完全さも自死の大きな要因になる。このような状況で、家庭の教育力に問題があっても、そのことをもって、いじめの原因が複合的とか、家庭の対応に問題があったと、第三者委員会は結論付けるだろうか。家庭の対応に問題がある場合は、いじめ事案に対して、「いじめられるのは、あんたが悪い」とか、「いじめられないようにしっかりしろ」とかの暴言を投げかけ、それに暴力が伴うような場合だろう。明らかにそれは虐待であり、いじめとは別の問題として対処しなければならない。また、学校がいじめ事案を報告し協力を求めた際も、家庭で一切対応がとられていないのならば、ネグレクトを視野に入れた虐待と考えなければならない。しかし、こんなことは通常考えられるだろうか?
 
 いじめ事案で10代の子どもが自死を選ぶというのは、「絶望」を感じ取ったからに違いない。自分ではどうしようもない絶望を感じたのだろう。学校に行けば、いじめがあり、学校の先生達の対応も不十分、いじめが無くならない。そんな日常が続けば、絶望を感じるのも当然だ。第三者委員会は、「死を選ぶ子ども」がどういう状況に置かれていたのかということに、もっと心を添わせるべきではないだろうか。そうすれば、自死の要因を「特定できない」とか「複合的」とは言えないのではないかと思う。 


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