10月6日~8日は、河内長野市の秋祭りである。6日は、自宅の前にある西代神社で神楽の奉納がある。7日~8日には、地車(だんじり)が市内を練り歩く。7日の午前中には、西代・下西代・野作・上原・古野・石坂・原という7地区のだんじりが、西代神社に宮入をする。その合間には、西代神社の神輿が街を練り歩くという、河内・泉州地域の祭りのフルコースのような祭りが行われるのが、私が住んでいる西代地区である。
河内長野に戻って、10数年ぶりに祭りを見物した。驚かされることがあった。一つは、人口減少。神楽の奉納を見物している人が、私の子どもの頃の1/3程になってしまった。さらに、子どもの数が激減している。子どもの頃は、神楽を見るのが祭りの楽しみだった。近くの小学生は、ほぼみんな神楽を見に来た。始まる前から西代神社の境内は、子どもの声であふれていた。しかし、今は一つも聞こえない。ほんとに少なくなった。そんなことを考えていて、ふと頭によぎった。これは社会の多様性、価値観の多様化が進んだのではないかということである。もしかしたら、人も子どももいるのかもしれない。しかし、祭りという地域の一大イベントに関心を向ける人たちが減ったのかもしれないと。そう思って翌日のだんじりの宮入を見物していた。やはり、私の考えは間違っていなかった。私がだんじりに関わっていたころは、色々な若者がだんじりに関わっていた。勉強の得意な奴もそうでない奴も。さすがに大人しい奴は、だんじり祭りには参加しなかったが、それでも見物に来ていた。ところがである。だんじりに関わっているのは、ある一定のグループであった。それはいわゆる「ヤンキー」と言われるグループで、その種の若者しか参加していない。社会の中で、価値観が多様化しているのか、分断があるのか。これほど見事に一色にしか見えない集団は、珍しいのかもしれない。神輿にいたっては、私とさほど年齢が違わない人たちによって担がれていた。昔は、若者が担いだものである。地域に住んでいれば、「一度は神輿を担げ」と言われたものだ。
こんな様子なら、この河内長野の祭りもいつまで続くことができるのだろうかと不安になる。
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