神山まるごと高専!

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 6月14日の夕刻報道ランナーで徳島県の神山にこの春開校された「神山まるごと高等専門学校」が取り上げられた。ロンブーの敦がレポーターを務めていた。テクノロジーと起業家精神でイノベーションを起こす若者を育てようという全寮制の学校である。開校して2か月、実際にこの学校で学んでいる生徒にインタビューするなど、その具体の内容をレポートしていた。
 まず、生徒の感想。本当に学校が楽しいらしい。北海道から来たある生徒は「中学校の時は、日曜の夜になると『明日学校…』という気分になったが、ここではそんな気持ちにならない。『学校が始まる!』と楽しくなる」と答えていた。女子生徒は、「毎日、修学旅行のようで遅くまで友達と話をしていて、課題が遅れる!」とも言っていた。まあ、まだ開校して2か月。全てが新鮮な時期なのだろうが、それを差し引いても生徒の目が輝いているのは、素晴らしいことだ。
 代表の方に、敦がインタビューしていた。その中で、思わず唸らされる発言があった。
「最先端の起業家に『学校で学んだことが今役立っていますか?』と聞いたところ、『あまりそういうことはない』という返事が返ってきた。学校というものが社会と隔離されていると思った。」
「それなら、社会につながる学校を作ろうと、教育にイノベーションを起こそうと思った」
「だけど、旧来のシステムの中に新しいイノベーションをおさめないといけないので、苦労しましたけど・・・」
という内容だ。立教大学の中原教授が指摘しているように、いわゆる前期近代という時代では先頭を走る一部の頭脳とその頭脳に従う大量の手足、そしてその手足は、正確にスピーディーにマニュアルをこなす能力が求められたので、学校と社会の間に大きな溝が生まれにくかった。しかし、後期近代、VUCAと呼ばれる時代では、この前期近代のシステムに綻びが生じる。全ての人にイノベーションを起こす能力が求められるからだ。だから、文科省も探究学習に力を入れている。しかし、神山まるごと高専のめざすレベルは、今の文科省の教育水準をはるかに超えているのだろう。今、学習指導要領に基づいて学習を積んでいる多くの国公私立高校は、どういう意味があるのだろうと考えさせられる。
 うらやましいと思ったことは、最先端の起業家の話を聞くことができることだ。それも、起業家の生き様をである。これが極めて重要である。高校の進路指導では、よく〇〇進路説明会などというものが開催され、生徒の興味のある分野の説明が行われる。それはそれなり、その業界や分野を知るうえで重要なことだろう。しかし、生徒の魂が揺さぶられることは少ない。そこでは「生き様」が語られないからだ。しかし、神山まるごと高専は違った。今では年収1億を超える成功をおさめた起業家も、最初の年収は240万円、失敗の連続だったと語っている。これが大事なのである。なぜ、起業しようと思ったのか、どんなハードルがあるのか、失敗した時にどう思ったか、その人の生き様に触れて初めて生徒の心に火が付く。こんなキャリア教育をやりたくて、ずっと「生徒の心に届く企画をしてくれ!」と訴え続けてきたが、なかなか理解が深まらなかった。教員には、前期近代のマニュアル教育が染みついているのだろう。神山まるごと高専がうらやましい!そして、この学校の未来とこの学校で学んだ生徒たちがどのような人生を歩んでいくのかに注目したい。


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