物議を醸す「150万円」


 慶應義塾大学の塾長である伊藤氏が、国立大学の授業料を150万円に値上げしたらどうか、という提案をした。このことに関して、いろいろと物議を醸している。伊藤氏の提案の理由は、
★高等教育は、AIなどの科学技術に使われるのではなく、使いこなす人間を育てること。そのためにハード・ソフトの面で大学の質を向上しなければならない。
★ところが、国の財政難で国立大学への運営交付金の増額が期待できない。学費値上げは、その方策の一つ。
★国立大学は、平均で一人当たり年間283万円の収入がある。そのうち、54万円が学費。残りは税金である。経済的に余裕がある家庭からは、費用の半額は負担してもらう。それが150万円の根拠。
★低所得者層には、給付型奨学金を充実させる
というものだ。この意見に対して、
賛成派としては、「国際的にみると日本の大学の授業料は安い」「大学の質を高めるためには、収入が必要」という意見がある。反対派としては、「安い大学があることは、セイフティネット」「都市部に学生が集中し、地方の大学が崩壊する」という意見がある。

 私の意見は、こうだ。教育の無償化が高校段階にまで進められている今日、授業料を下げるのではなく、上げるというのは世の中の流れに逆行している。society5.0や科学技術の進歩が著しい中で、これからは後期中等教育で終了するのではなく、高等教育の必要性がますます高まる。よって、より多くの国民に、質の高い高等教育を受けることができる機会を与えることが必要だろう。教育を先行投資ととらえ、国も教育に資金を投入することが求められる。先進国の中では、教育につぎ込むお金が日本は少ないのだから。
 低所得者層には、給付型奨学金というが、150万円の授業料を賄える給付型奨学金というのは、どのような額なのだろう。この制度設計があいまいなまま「国立大授業料150万円」を提言するのは、少し無責任ではないか。
 百歩譲って伊藤氏の言うように「経済的余裕がある家庭には払ってもらいましょう」というなら、家庭の収入によって、段階的に授業料を設定するのが、妥当だろう。余裕のある家庭には、150万と言わず、国際的な基準まで授業料を払ってもらえばよい。ただし、そんなことをすれば、高収入の家庭で優秀な学生ほど、海外に流出するだろうが。

慶應義塾大学という日本のトップの私学の塾長の提案としては、少し提案内容が現実的ではなく、ザルのように思う。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP