熊本大学 苫野准教授


 今日は4月1日で、新しい年度が始まり、一夜にしていろいろなことが新たに始まる1日だ。職場に行けば、4月から勤務される新しい人が着任し、校内人事も新しくなった。周囲は、ざわざわという1日である。今日のブログの内容は、3月31日の読売新聞の記事の内容だ。4月1日であるのに、3月31日の記事を取り上げるのはどうかと思うが、お許し願いたい。

 記事は、13面の一面を使って、熊本大学准教授の苫野氏を取り上げていた。苫野氏は、教育哲学が専門である。教育という分野を「そもそも、どうなのだ?」という観点から論じる方だ。私も一度お話を聞いたことがある。今回の記事にも、そのそもそも論が載っていた。こんな内容である。

「そもそも学校とは何のためにあるのか、教育の本質とは何か。現場の先生にはそんな青臭いテーマで対話し、目指す学校の姿を共有することを勧めています。私は、教育とは全ての子どもが自由に生きる力と、互いの自由を認め合う感度を育むためにあると考えます。」

私も話を聞いたときに、苫野氏はこの内容を話していた。そして、なぜそうなのかという説明の中で、ホッブスやルソーの話が飛び出してくるのだ。「教育哲学者とは、こういう人なのだ」と初体験であった。苫野氏は、個別最適化、探究学習、ルールメイキング、などなど、現在の教育のトレンドに深くかかわっている。非常に面白い人である。是非、皆さんも機会があれば、一度お話を聞かれた方が良いと思う。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP