久々の「混迷の世紀」である。今回は、グローバルサウスの代表格インドである。インドは、欧米の西側諸国ともロシアとも関係を構築しているが、中国とは国境問題を抱えている国である。このシリーズは、ロシアのウクライナ侵略以降、21世紀を「混迷」と位置づけ、世界の今を俯瞰する番組で、なかなか勉強になる。
インドは、今や人口14億人を超え、中国を抜いて世界一の人口を有する国になった。平均年齢も若く27歳らしい。2040年ごろには、中国もアメリカも抜いて、世界一のGDPの国になると報道されていた。この報道の前の日に、ゼロコロナ後に立ち直れない中国が報道されていたが、それと比べると、沈みゆく老大国と今から登り詰める若き大国のようである。まさにエマニュエル・トッド氏が「今の日本ほど中国を恐れる必要はないです」という見解が、見事に当たった感がある。
さて、インドである。これほどすさまじい発展を遂げているには、理由がある。国家がデジタルコンテンツを創出し、それを民間に開放したというのである。IDとパスワードで、デジタルな世界に入ることができ、様々な情報が紐付けられているのである。このように国家がデジタルコンテンツを作成するに至った理由として、「デジタル植民地」という言葉が飛び出してきた。「オッ!」と思った。少し前まで、インドは欧米諸国のIT企業の下請けのような作業を引き受けてきた。そして、欧米の巨大IT企業にどんどん情報を吸い上げられていたのである。「このままでは、過去の植民地時代と同じように、デジタル世界で植民地になってしまう」と、欧米の巨大IT企業とは別のデジタルコンテンツを政府が創造したのである。どうだろう。このインドの発想を聞いて、「いやー日本って、欧米、特にアメリカの巨大ITのデジタル植民地そのものじゃないか!」と思った人も多くいたはずだ。NHKはそこまで言わなかったが。
この政府主導のデジタルコンテンツが作られたことで、インドの人口の過半数を占める農村部が活性化した。銀行口座さえ持つことが無かった農村の人たちが、デジタルな世界にいきなり飛び込んできて、その世界が市場化されたのである。いきなり8億人近い市場が誕生したのだ。この動きをみて、頭によぎったのは、資本主義が周辺を求めるという本質的な胎動である。日本も明治維新から国家資本主義として資本主義へ国を挙げて移行していった。安価な労働力を求めて、日本では資本は農村地区に触手を伸ばした。その結果、農村地区は安価な労働力を輩出するエリアとして窮乏を極め、「女工哀史」が誕生した。同じく農村の次男坊、三男坊と生まれた男子は軍隊にでも行くしか生きるすべはなく、この資本主義の残酷性ゆえに、2.26事件というクーデターまで行き着いてしまったのである。インドにもこんな話が出てくるかと思って、テレビを見ていたがこんな話は出てこなかった。何が違うのだろうと思っていたが、「そうか、デジタルは都市も農村も区別しない。特に政府が作ったデジタルコンテンツは、法の下に平等。だから今まで資本主義に参画しなかった人口の半分を占める農村を、搾取や収奪するのではなく、参画だけさせたのだ。民間や外国資本ではこうはいかない。そこに利潤追求が起こる」と思いついたが、これが正しいかどうかはわからない。誰か教えてほしい。
さらに、インドがすごいと思ったのは、このデジタルコンテンツを他のグローバルサウスに無償で提供している点だ。どのような情報をどのように紐づけするかは、各国の判断に任されているし、インドは提供した国の情報にアクセスできない。これは極めて重要なことで、各国の主権が保たれ「デジタル植民地化」されないことを示している。過去に植民地支配を受けたインドならではの外交政策であろう。以前の宗主国である欧米を信じることはできないグローバルサウスにとって、まさにインドはグローバルサウスの盟主だ。ロシアがウクライナに侵略したウクライナ戦争が勃発して、当初は国際政治でロシアは完全に孤立するだろうと予想した。しかし、実際はそうではない。中露にも欧米にも関係を持ちながら、そして適度に距離を保つグローバルサウスがクローズアップされてきたのだ。この背景には、19世紀から20世紀の植民地支配が黒くそして濃い影を落としている。考えてみれば、「アフリカの年」として多くの国が独立したのは、1960年、私が生まれた年だ。まだ60歳を過ぎたばかりなのである。グローバルサウスの人たちの脳裏には、欧米の植民地支配が生々しい記憶として生きているに違いない。
これからの世界は、西側諸国(民主主義を掲げながら、帝国主義の顔を持つグループ)と中露を中心とする専制主義国家、そしてグローバルサウスの3つ巴の様相を呈するのだろうか?いや、西側諸国も専制主義国家もグローバルサウスに跪いているかもしれない。
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