消えた「60%」

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 9月20日の読売新聞スポーツ欄に、全中のスリム化の問題が取り上げられていた。教員の負担の問題、少子化の問題で「全中スリム化」は必至だった。記事によると、中体連が22年度にアンケート調査を実施し、生徒や教員など約26000人から回答を得たという。その中で、「全国大会を行うのにふさわしい部活動設置率」について、「60%以上」とする意見が8割あったという。生徒・教員の大多数の意見ではないか。ところが、中体連の理事会では「60%以上とすると、大半の競技が無くなる。現実的ではない」として、「20%未満」で線引きした。とんでもない理事会の独断専行ではないか。全国大会を開催するのに必要な部活動設置率60%というのは、妥当な数値だろう。50%を切っている部活動で、全国大会優勝という意味がどれだけあるというのだろう。大半の競技の全中大会が無くなるなら、それはそれでよいではないか。全中は要らないという教員や生徒の意思なのだから。
 何回も言っているが、10代の若者に対する日本のスポーツのあり方は、欧米と比べておかしいのだ。根本的に違う。日本では、一芸に秀でることを良しとし、一つのスポーツを小学校からずっと繰り返し行うことが奨励される。「一芸に秀でることはすべてに秀でる」と言われている。物事にとにかく精神性を求めて「道」を示したくなる日本の文化風土なのだろう。野球がその典型だ。ところが、欧米では様々なスポーツを行うことが奨励される。心身のマルチな発達を促すのだ。日本の場合は、一つのスポーツを続けるために、同じ筋肉や骨格を使い続けることになる。そのため、野球で言えば、肘や肩の故障、ジャンプをする競技ではジャンパー膝などの故障を起こしやすい。そして、そのようなけがは、その後のスポーツ人生までにも影響を与えることも珍しくない。パリオリンピックで槍投げで金メダルを取った北口選手は、小学校はバドミントン、中学校は水泳とバトミントンの2足のわらじを経験している。やり投げは高校に進学してから始めたのだ。ただ、北口選手は、類まれなる能力に恵まれており、いずれの競技でも全国大会レベルの成績を残している。
 小学校・中学校では、様々な部活動を経験するのが良い。それが私の結論だ。できれば高校でもマルチスポーツで良いのではないかと思う。このようにスポーツの在り方を根本的に考え直すと、全中の在り方も自然と変わってくる。市町村や地域レベルでは、リーグ戦を中心に技術の向上や勝負結果に対するリフレクション、そしてレギュラーばかりが出場するのではない全員出場の機会などを実践し、すそ野を広くしてスポーツに参加する機会を設けるのが良い。「60%」以上の設置率の部活動中心に、都道府県レベルでトーナメント形式で行えばよいのだ。このような発想になることが出来ない中体連理事会は、未だに「勝利至上主義」から脱却できていない。

 この記事には、地域クラブの監督の声が掲載されていた。「地元で競技を広めたい。クラブの知名度を上げるには全中で勝つことが大きい」と。明らかに、私的な目的のために全中を利用しようとしている。こんな輩のために、過酷な状況を押してまで行う全中に何の意味があるのか!


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