沖縄戦慰霊の日と平和学習


 朝起きて、NHKニュースを見てみると、沖縄戦慰霊の日とある平和学習の取組が紹介されていた。詳しくは、NHK+で見ることができるので、そちらを見てほしいのだが、沖縄県南城市の馬天小学校の米須先生の取組だ。米須先生曰く、「今、私が教えている子どもたちは、親はもとより、祖父母も沖縄戦の経験をしていない。近くに沖縄戦の様々な跡があっても、中々ジブンゴトとして考えることができない」とインタビューで答えられていた。そんな中で、平和学習を「主体的に考える」ために、「自分なら・・・」という視点で、疑問を持って、そして問いを持って探究するという姿勢だ。この取り組みはとても重要な取り組みである。

 平和学習と言えば、戦争体験、被爆体験した人の話を聞くという取り組みがメジャーである。いわゆる語り部の方々の話を聞いて、「ジブンゴト」として考えられたら、その企画は100%成功だろう。しかし、実際はそうではない。「可哀そう」とか「戦争は怖い」というような感想が主流になりがちだ。「昔の話・・・」としてきちんと受け止められず、児童や・生徒の心の中に残らないことをありうる。そんな中で、児童の疑問や問いを手掛かりに、平和学習を進めるこの米須先生のやり方は、画期的だと思う。今、教育の中で大きな位置を占めつつある探究学習の手法を平和学習にも取り入れたと言えるだろう。自分の問いや疑問を解消するために、大学生と一緒に調べ学習をすることで、沖縄戦の中で当時の人たちがどのような思いでこの戦争を捉えていたかが、「ジブンゴト」として考えられるようになると思う。単に、「戦争は怖い」「可哀そう」だけではなく、どうしたら戦争しなくてすむようになるのか、始まった戦争をどうやったら止めさせることができるのかと、今私たちが住んでいる世界の課題として考えることができる力がつくことだろう。
 言わずもがなの事であるが、私は語り部たちの伝承活動を否定しているわけではない。まずはその体験した人から話を聞き、「知る」ということは極めて重要な平和学習だ。その次に「知る」から「考える」というように平和学習をつなげていかなければならない。このことが大切だと言いたい。

 ただし、沖縄戦はとても複雑なファクターが絡み合っているので、小学生だけでこの学習を終えるのではなく、中学・高校でも続けてほしいと、米須先生は言っておられた。まさにその通りだろう。沖縄戦を通じて、なぜ日本は戦争を始めるようなことになったのか、当時の国際政治はどのようなものだったのか、どこがターニングポイントだったのか、戦争に突入しないために、いつどこで何をすべきだったのか、こういうことを学び続けてほしいと思う。


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