今、井沢元彦氏の「逆説の日本史26巻」を読んでいる。ちょうど、日露戦争のところだ。ここでびっくりする事実を知った。日比谷焼き討ち事件である。私の知識としては、日露戦争の終結後に結ばれたポーツマス条約で、「日本は戦争に勝ったにも関わらず、賠償金を1つも取れなかった」ことについて、日本国民の不満が暴徒化した事件と理解している。ところが、歴史学会では、この日比谷焼き討ち事件は「大正デモクラシーのはしり」と評価されていると井沢氏は書いていた。びっくりである。
そこで、少しネットで調べてみた。すると、日比谷焼き討ち事件に関して解説する少なくないサイトに「大正デモクラシーのはしり」という評価がでていた。井沢氏の主張は、本当だったのだ。どのように考えたら、このような評価が下されるのだろうか。井沢氏が抜粋しているように、司馬さんは、この日比谷焼き討ち事件が、その後40年にわたる戦争への分岐点であると指摘している。まさにその通りだと改めて新しい知見を得た。
日本の歴史学会、特に左翼系の歴史研究者の中には、反政府の民衆の行動をなんでも民主的と捉える傾向があるのではないだろうか。これでは、物事の本質を見抜けない。そして、その傾向は、日本の新聞にも影響していると司馬氏は指摘している。加えて、井沢氏は、「日本には、クオリティペーパーと呼ばれる質の高い新聞がない」と言っている。玉石混交のネット情報が溢れている上に、新聞の内容までも「?」がつくようでは、益々情報を見極める力を身に付けなくてはならない。
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